人生は暗闇のジェットコースター ~筋ジストロフィーと闘う日々~

人生は暗闇のジェットコースター ~筋ジストロフィーと闘う日々~

21歳のころ「進行性筋ジストロフィー」と診断され、病気、仕事、結婚と先が見えない暗闇をジェットコースターで走り抜けたような人生を振り返りつつ現在、そして未来へと・・・

今日は父の命日・・・2001年8月22日、父は77歳で生涯を閉じました。

 

あれから23年、64歳になった今、あらためて父の人生を辿ってみました。

 

私の父は大正12年、京都で江戸時代から続く老舗呉服店の9人兄弟の三男として生まれました。昭和の始め頃に店を畳み、一家で上京し、日本橋や麻布などで暮らしました。太平洋戦争が始まり疎開や兵役などで家族はバラバラになり、長男が病気で亡くなり、次男は戦死し、父が長兄となりました。

 

父は終戦間近に徴兵されました。父は戦争の話は全くしませんでしたが、私が子供の頃、近衛兵、つまり天皇陛下を守る兵隊だった話は聞いたことがありましたが、大人になってからは話したくないことを無理に深堀することはしませんでした。

 

しかし私も歳を重ね、歴史として戦争に興味が出てきて、父を思い出し近衛兵について調べてみると、エリート部隊で大変重要な役割だったことや、条件に「家柄や容姿端麗」という項目があったことなど驚くことばかりでした。もっと話を聞いておけば良かったと後悔するようになりました。

 

父が亡くなった後、父の同級生から一緒に疎開時の話などを聞かされ、意外な素顔を知ることができました。しかし、戦争の話は友人にもしてなかったこともわかりました。兄弟に聞いたところ、詳しくはわからないがいじめに遭っていたらしいと教えてくれました。それを聞いて話したくなかった理由がわかり、聞かなくて良かったと後悔はなくなりました。

 

そして気になるのが近衛兵の条件で「容姿端麗」とあったのですが、空襲で写真がすべて焼失してしまったので見ることはできませんが、「美少年」だったと同級生や親せきの人たちから聞きました。確かに結婚式の写真はイケメンだったし、晩年は俳優の舘ひろしのような渋い感じだったので納得です。