アジアの中の日本
「Are you Chinese?」と聞かれて「I'm Japanese!」と言い返すと、
「Sorry,sorry…」と何度も謝って手のひらを返したかのように接し方を変えてくることがあった。
真意は分からないが、なんだか失礼な話である。
ただここでは、ショップを営んでいる方などは日本人を見慣れているのか、
しっかりと私を日本人と判断できる方も多い。
味覚や感性
ここの食生活を送っているからか、言い方は悪いが味音痴の方が多いこと。
逆に日本人は繊細な味覚判断力があるということ。
日本人と比べると少なくとも3つ程度は味の判別が出来ていないのではないかと感じる。
同じ家に住むイギリス人とイタリア人に私が作った料理を食べさせると、決まって質問攻めになる。
これは何をどういう順番で入れて、どういう味付けをしているのか、どういう調理方法なのか、いつが料理終了なのか、など。
例えば、「濃く」「旨味」「渋み」「甘酸っぱい」「甘辛い」など言えば彼女たちにとってはグレーな部分。
特に「旨味」という表現は英語に表現しきれないと聞いたこともある。
味噌汁を作った時、とても美味しいが味としては「しょっぱい」と表現されたので、昆布出汁から採った私はちょっとショックに感じたものだ。
きっと調理方法も極少ない。
「茹でる」「焼く」でほとんどが片づけられる。
小さなお椀が絶妙なタイミングで差し出され、お椀の絵や艶を楽しみ、ふたを開けると柚子の香りが立ち込め、お出汁を頂いた後に要約、料理に手を付け、ゆっくりと味を感じる。
こういった動作一連の楽しみ方というものがこの国にはあり得ないのかも知れない。
ガーデンの花を見ながら会話をしていて感じたことだが、
感性の面でも、趣、風流、間などはなかなか伝えることが難しいものだった。
日本の文化、華道、茶道、習字、武道などのように、結果全てではなく、そのものが出来上がる過程を重んじることは少ないのかも知れない。
商品パッケージ
こちらで食材のショッピングに行って、とても困ったことが私には全てペットの餌に見えてしまうこと。
というのも消費者に全くアプローチしないパッケージであるということ。
大したことない薄手のビニールで量り売りをするかのごとく、ドサッとパッキングされているだけ。
せめてお菓子やナッツ類もジッパー式になっていると有り難いが、日本人の胃袋ではとても食べ切れない量が封してある。
だが一週間過ごしてみて、逆に日本はやり過ぎではないかと感じるようになって考えさせられた。
流行りのキャラクターをプリントしたり、過剰な包装で本体になかなか辿り着けないこともしばしば。
考えてみれば決して褒められた話ではないと、この国の良さを感じる。
この国と日本を足して二で割ると丁度いいのかも。
長い独り言でした。