ある本を読みました…
『生きるとは、自らの心のなかに一輪の哀しみの花を育てることなのかも知れない』
人は愛する気持ちを胸に宿したときから、哀しみの種を手にする。その種には、日々情愛という水が注がれ、育ち、いつしか哀しみの花が咲く。
それは、相手を深く思えば思うほど、訪れる哀しみも深く、決して枯れることはない。なぜなら、そこには心を流れる涙がその花を潤すのだから。
…
生きることは、
なんて哀しくて、
なんて切なくて、
なんて辛いことなんだろう…
未だ現実をまともに見ることができず、帰ってきて欲しいと願い、息子を想い哀しみ、胸を締め付けられ、涙を流し、息子を守れなかったことを嘆くばかり。
こんな辛い思いをするのなら…
私はいなければよかった
親にならなければよかった
そんな自虐的なことまで考えてしまいます。
世の中どうでもいいなんて思ったりもします。
でも…
息子がいてくれたから今の私がいる
今まで一緒に歩いてきたから幸せを感じられた
それは紛れもなく、はっきりと言えること…
頭のなかがおかしくなりそうです。
未だに一緒に人生を歩むことができなくなったことが信じられず、今はただ…喪失感、空虚感を抱えて一日を過ごし、やがて迎えに来るのを待つしかなく…
未来が見えないよ
想像ができないよ
哀しみの向こうに何があるのか…
哀しみの花…
経験のない人には、切ないけどどこか美しい詩に聞こえるのかも知れません。私には慰めにもなりません。虚しい気持ちになります。
でも一つだけ言えるのは、、、
誰もが哀しみの種を育てている
今この時も、同じように哀しみの花を抱えていらっしゃる人がいる
『私だけじゃない』
ということ、、