アキモ経営トップのひと言

アキモ経営トップのひと言

株式会社アキモの代表取締役秋本薫が、普段から関心を持っている事柄や、世の中の動き、何気ない日常の中で発見した出来事から感じたことを書いています。

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2012年10月 領土問題に揺れる日本

今、日本の周辺地域をめぐる領土問題は過激化しています。それに対し、日本政府の対応は、何かちぐはぐで、場当たり的という印象はぬぐいきれません。もっと戦略的に、しっかり外交交渉をしてもらいたいと願うばかりです。まさか、中国各地で発生した反日デモが、あれほどまでに過激になるとは、だれも思っていなかったと思います。

しかし、中国と日本は、お互いに密接な関係を持っており、切っても切れない存在です。去年の段階で、日本から中国への輸出額は約12兆円。中国にある日系企業は2万2千社を数え、14万人の在留邦人がいるのです。このような政治問題が長引けば、経済にも大きく影響を及ぼし、長らく続いている不況が、さらに悪化することも予想されます。円高とデフレの続く日本から、海外市場に活路を求めざるを得ない多くの日本企業にとっては、大変な痛手になることでしょう。

しかし、このような事態を招いた責任は、私たち国民にもあると思います。竹島も尖閣諸島もどこにあるのか知らない。北方領土や竹島が他国に占拠されても、ほとんど無関心。つまり国民全体がいわゆる平和ボケだったと反省せざるを得ません。

そこで、北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題について少し勉強しておきましょう。(それぞれ外務省ホームページより抜粋)

北方領土問題

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日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。

参照:外務省北方領土問題 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html

 

 

竹島問題

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竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

参照:外務省竹島問題 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

 

 

尖閣諸島問題

 

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尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。

 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。

 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。

 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。


藍ちゃん1 
 4月21日にハワイで行われた、LPGA(米女子ゴルフツアー)ロッテ選手権の最終日。日本の宮里藍選手が2位に4打差をつけて、堂々の今季初優勝を果たしました。私はテレビで見ていましたが、まさに感動の瞬間でした。LPGA通算8勝目、賞金ランキングで2位と世界を舞台に大活躍の宮里藍ちゃんですが、その強さはもちろんのこと、私がいつも感心させられるのは、インタビューでのコメントです。いつも天真爛漫な笑顔と前向きなコメントを絶やすことはありません。たとえミスをした後でも、「ゴルフにミスはつきもの。ミスはミスとして、いつでもポジティブに」と簡単に言ってのけます。この超ポジティブな考え方が、藍ちゃんの強さの秘密だと思います。
 藍ちゃんの原点は生まれ故郷である沖縄の風と土です。ゴルフインストラクターの父の元で4歳からクラブを握り、兄二人もプロゴルファーというゴルフ一家です。父、優さんからは「ゴルファーの前に人格者であれ」と教えられました。そして、中学時代からジュニアの大会で活躍し、鳴り物入りで女子プロに入り、2年目には獲得賞金1億円を突破、日本女子オープンゴルフ優勝という輝かしい経歴を築きました。
藍ちゃん2 
 しかし、藍ちゃんが今のように、世界の舞台で戦うまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。2006(平成18)からは米国LPGAツアーに参戦し活躍が期待されましたが、翌年2007年から極度のスランプに陥り、連続5回予選落ちなど、まさにプロとしての瀬戸際でした。打球は打った瞬間にわかるほど左右にぶれ、自信を失ったスイングからは、弱々しい玉が曲がって飛び出し、観客を何度も落胆させました。長いスランプの間、もうこれで自分のゴルフ人生は終わるのかと、毎晩のように随分泣いたそうです。確かにその頃の藍ちゃんは、ゴルフが本当に辛そうで、痛々しかったのを覚えています。しかし、どれほど悪い成績の時でも、藍ちゃんはマスコミの取材に応じました。そして笑顔で「良くなりつつある」「感触は悪くはない」「たくさん学んでいる」と、あくまでも前向きなコメントを繰り返したのです。
藍ちゃん3 
 そしてついに、20097月にフランスで開催されたエビアン・マスターズでLPGAツアー4年目にして、ようやくの初優勝を果たしました。優勝インタビューでは、長く苦しかったスランプをふりかえり「こんなに嬉しい事はないです。ひとりじゃない、日本人はとても素敵だと」と、語りました。ここから宮里藍の快進撃が始まります。翌2010年には、いきなり開幕から2週連続優勝を達成。これは44年ぶり・史上5人目(日本人初)の快挙です。その後のショップライトLPGAクラシックにて優勝し、ついに日本人初となる世界ランキング1位に輝いたのです。そんな経験をくぐり抜けた藍ちゃんの「ミスはミスとして、いつでもポジティブに」という言葉には説得力があります。藍ちゃんの好きな言葉は「意思のあるところに道は開く」という、アメリカのリンカーン大統領の言葉だそうです。つまり、どんな困難があっても、強い意思を持って諦めなければ、必ず道は開けるという意味です。どん底を味わったことで得たものは、少なくなかったようです。
  宮里藍のスポンサーであるJALは、2010年に会社更生法の適用を申請したため、スポンサー料をまったく払っていませんでしたが、藍ちゃんは、今までの感謝の意味を込めて、帽子のJALのロゴマークは外しませんでした。そればかりか、先日電車の中で見つけたJALの中吊り広告には、藍ちゃんがJALに向けた応援メッセージが書かれていました。それを読んで、私は思わず胸が熱くなり、涙が込み上げてきました。私だけではなく、多くの人に感動と勇気を与えてくれた宮里藍に、心から拍手を送りたいと思います。
 

「スランプよ、ありがとう」    宮里 藍

4歳のころからの夢だった。
今年、6月、ニュージャージー州で行われた、
忘れられない試合。
私は、米ツアーで今季4勝目の勝利をあげた。
そして日本人初の世界ランキング1位になることができた。


うれしかった。でも、それはゴールではなく、
プロセスだと思うようにつとめた。
だって、大きなスランプを乗り越えて、
やっとたどりついた場所だから。
本当の勝負は、これからだ。


2006
年、20歳の時、米ツアーにはじめて参戦。
その後、私はスランプに陥った時、
コーチから学んだことを強く胸に言い聞かせた。
それは、自分に期待しないで、
目の前の一打に集中するということ。
ただ、それだけだった。
ただ、それだけを繰り返してきた。


さて、私は、いまでも、長いツアーを終えて帰国する時、
心からほっとする瞬間がある。遠い異国の空港で、
あの赤いマークの尾翼を見つけた時だ。
JALも、いまを全力で乗り越えてほしい。

JALLogo

 

 

私は会社が長く続くことは、最も価値が高いことであると考えています。なぜなら、この世の中は、自然の法則に支配されています。したがって、自然の法則に合わなくなると淘汰の洗礼を受けることになります。つまり、続いているということは、存在することに価値があると認められた証なのです。法律や決まりを守ることはもちろん大切ですが、それだけではダメなのです。会社の活動そのものが、自然の法則にあっているかどうかを常に確認することこそ、社長の最大の仕事であると思っています。

神武天皇

初代 神武天皇              


その点で私は日本に生まれ育ったことに大変誇りを持っています。それは、日本の皇室が125代続いている点です。これは、もちろん世界一です。初代の神武天皇の即位が紀元前660年と言われています。 以前はこの日を皇紀としていましたが、現在では建国記念日として、国民の祝日に指定されています。これを計算すると、日本の皇室はなんと2672年間続いてきたことになります。しかも、現在でも日本国の象徴として、実質のトップに君臨しています。このように、一族が125代2672年にわたって、一国のトップを世襲している例は、世界に例がありません。唯一、日本だけの伝統であるといえるでしょう。

式年遷宮
伊勢の神宮 式年遷宮

 その他にも、来年平成25年に伊勢神宮で「第63回式年遷宮(しきねんせんぐう)」が行われます。この式年遷宮というのは、20年に一度、神宮の正殿(しょうでん)を造り変える大祭です。伊勢神宮は、正式には「神宮」と言います。そして、神宮には内宮(ないぐう)と外宮(げぐう)というのがあり、そこには、それぞれ同じ大きさの敷地が二つあり、普段は片方が空き地になっています。そこへ、20年に一度、同じ建物を作り、出来上がると古いほうをすべて壊してしまいます。正殿だけではなく「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」と呼ばれる神々の調度品や衣装など714種1576点もすべて一新します。これら全てが古代から続く寸法、技法で作られ、完成品は神宮司庁の職員が細部まで検査して確認します。総工費は550億円、必要な材木は一万本という壮大なスケールです。この行事も持統天皇4年(690年)から、およそ1300年間続けられています。

旅館法師
創業 養老2年(718年)で1300年の歴史を持つ
石川県粟津温泉の旅館「法師」

創業200年以上の企業は、世界に5586社あり、その内の56%、約3千社が日本の企業です。続いてドイツに800社、オランダに200社です。その中でも最古の企業はギネスブックにも登録されている石川県小松市粟津温泉の旅館「法師」で、なんと1300年近い歴史があります。実はもっと古い金剛組という建築会社があります。最近になって高松建設の傘下に入ってしまいましたが、創業は578年ですので、今年でなんと1434年です。そのほかにも羊羹の虎屋は500年、伊勢の赤福は300年、刃物製造の岡谷鋼機は340年、釣針の目細八郎兵衛は430年などの老舗企業が日本にはたくさんあります。

このような老舗に比べれば、アキモはやっと52年、秋本食品本社でも80年です。東京大学名誉教授の月尾嘉男先生によると、これらの老舗企業に共通する経営理念があり、第一は「顧客本位」、第二に「切磋琢磨」、第三に「不易流行」だそうです。

http://www.akimo.co.jp
株式会社アキモ
代表取締役社長
秋本 薫

 巌手屋ロゴ

小松製菓img

岩手県二戸市に小松製菓という会社があります。この会社は昭和23年に南部せんべいの製造を手がけて以来64年の歴史を持っています。多くの製菓会社が苦戦している中で、この老舗の会社が大変元気が良いのです。

代表取締役社長の小松務さんは、競争に勝つためには法則があると言っておられます。今月は、モラロジー研究所所報平成24年2月号に掲載されている小松社長の講話の中から、どうすれば競争に勝てるのか、生き残れるのか。その答えのヒントとなる体験談をご紹介したいと思います。

 

盛岡駅ビルへの出店

小松社長は、東北新幹線の盛岡乗り入れを契機に、盛岡駅ビルへの出店を決めました。ふたを開けてみると、同業5社が軒を連ね、隣は盛岡一番の老舗Sせんべい屋さんです。面積も人数もすべて同じ条件でしたが、当社の売上はさっぱりでした。そこで店舗が悪いのではということで、その後3年にわたり3回の改装を行いましたが、効果を発揮することはありませんでした。あとは商品に問題があるのではということで、全商品の作り変えを行い、連日のように打ち合わせを行いましたが、これでも追いつくことはできませんでした。

 

今あるものに感謝する

そこで次には、接客面のレベルアップを図るため、徹底的に接客研修を行いました。すると少しづつ売上は伸び、隣の店との差が詰まってきました。すると、ライバル店は安売り攻勢をかけたり、中傷を行ったり、ここまでやるかと思うほどの露骨な手段を使い始めました。このような苦しい戦いが続く中、麗沢大学の永安幸正(ながやすゆきまさ)先生より、

1.そのルールの中で負けるな

2.利己主義の競争には結果が悪い

3.お客様への奉仕競争であれ

4.自分の強みを生かすこと

というご指導を得たことで、小松社長は自分の強みを生かしてしっかり競争して行こうと心に決めたのでした。この時、山に行ったら木を大切にしなさい。川に行ったら水を大切にしなさい。というお父さんの言葉を思い出したそうです。つまり、豊かさは、足りないものや持っていないものを欲することではなく、今豊富に授かっているものの価値を見いだし、それを生かす生き方にこそ、豊かさがあるということを、伝えていたのだと気付いたのです。今後は目先の競争にとらわれずに、今あるすべてのものに感謝することを決意し、その徹底に務めたのです。

 

基本の徹底

本当に心から感謝すると、自然と良い笑顔になります。挨拶、おもてなしの心、心配り、商品の説明、お見送りなどの基本を徹底的に習得しました。すべて形だけではなく、心を添えるのです。心がつながったとき商売は繁盛していきます。安易な安売り競争は避けました。値段が安いことを売りにするお店が、長く続いたためしがありません。

 

売上はアプローチの分量に比例する

やがてライバル店に売上げで並ぶようになってきました。この時、売り上げ競争に勝つための法則があることに気付いたのです。それは「売上はアプローチ(新しいお客様に試食をすすめること)の分量に比例する」ということです。当初ライバル店に売上で負けたのはそこが原因でした。お客様とのコミニュケーションの量が不足していたのです。ライバル店はお客様との会話の量も多く、どんどん新しいお客様を創造していました。店舗づくりや商品ばかりに気をとられていた当店は、その点で差をつけられていたのです。特に注意したのは、アプローチの目的は商品の美味しさのご紹介であり、売りつけることではないということです。お客様と触れ合うことで、自分の品性を磨くことを目的にしました。

売上や利益は結果です。結果を目的にすると滅びます。目標と目的は明確に分ける必要があります。店では、アプローチの分量を目標に努力をした結果、それ以来ライバル店に負けることはなくなりました。

 

結局は人柄が勝負

この体験談を通して感じたことは、お客様はいつまでも自社の商品を買い続けてくれるとは限らない。時代の流れとともに移り行くものであるということです。何もしなければ次第にお客様はいなくなってしまいます。ですから常に新しいお客様にアプローチをして、創造して行く事が大切なのだろうということです。しかし新しいお客さんにアプローチをすることは、何度も断られることも覚悟しなければなりません。そうすると次第に気持ちも重くなって行くものです。その時に決め手になるのは、言葉よりもその裏にある心です。つまり結局は人柄が勝負なのです。私も自分自身について振り返ってみると、何かを得ようとするばかりで、今恵まれているものに感謝することを忘れているような気がします。

 

いかがでしたでしょうか。現代はあらゆる面での競争が、激しさを増しています。その競争社会の中で生きて行くための、何かヒントにしていただければ幸いです。

 


株式会社アキモ
代表取締役 秋本薫
http://www.akimo.co.jp

ちょっとした勘違いが

 長びくデフレ経済のなかで、多くの企業が生き残りをかけています。そのなかで元気な企業は売る側の都合ではなく、顧客満足度の向上に励んでいます。そんな中、先日漬物組合の新年会の際、私はとんでもない事態にまきこまれました。今回はこの事例を参考のためにご紹介したいと思います。

 その日は鬼怒川温泉の某ホテルで漬物組合の新春懇談会が開催されました。あいにく私は東京でお得意様との商談があり、午後7時過ぎの到着となってしまいました。ホテルに着いて「栃木県漬物組合の秋本です」と名のると、「まずお部屋にご案内いたします」とフロントの女性が2階の部屋まで案内してくれました。もう宴会が始まっているとのことでしたので、急いで荷物を置き、浴衣に着替えて部屋を出ようとすると、部屋の掲示を見て、部屋を間違えている事に気付きました。たまたま宴会の準備をしていた女性スタッフがいたので、これまでの経緯を説明した上で「私の正しい部屋を調べて下さい」と頼むと「分かりました。少々お待ちください」と姿を消しました。私は、ホテル側のミスなのに「申し訳ございませんでした」という謝罪の言葉がなかったことに、ちょっと腹が立ちました。やがて先程の女性スタッフが来て「漬物組合さんは5階です」と教えてくれました。しかし、フロントを呼ぶでもなく、部屋を案内するでもなく「エレベーターはそちらです」という言葉には、開いた口がふさがりませんでした。私は急いでいたので、とにかく自分で服と荷物を持って、5階まで上がりました。すると確かに510号室の部屋札に自分の名前がありましたが、部屋には鍵が掛かっています。仕方なく再びスタッフを探し、また同じ事情を説明し、部屋の鍵を開けてもらいました。しかしここでも、一切 謝罪の言葉はありませんでした。やっとの思いで自分の部屋に入り、荷物を置き、急いで宴会場へ行きました。ところが、宴会場も見つかりません。どうやら宴会場の場所まで間違って教えていたようです。

 このようなスッタモンダの末、ようやく宴会場にたどり着くことができました。やがて宴会も終わり、温泉に入り、部屋についた頃には12時を回っていました。その時、携帯電話がないことに気付きました。きっと、さっきの部屋に忘れてきてしまったのです。でも、もう遅いので、フロントに連絡しました。が…しかし、これまた、全くこれまでの事態を把握していません。仕方なく、また最初から事情を説明しました。するとフロントは「今から、とりあえず2階のお客様に電話してみますが、時間が時間ですからね~」という言葉でした。これには呆れて返す言葉を失いました。どっちが悪いのか全くわかっていないようです。しばらく経っても返事がないので、2階まで行ってみました。すると例の部屋の前で大きな声がしました。どうやらその部屋の客とフロントが、何やらもめているようです。その客は、私を見つけるな否や「おい、てめーか!こんな馬鹿なこと言ってるやつは!」まだ何も話もしていない、初対面の他人に対して、こんな口の聴き方は非常識すぎます。「人の話も聞かずに、一方的にその態度は何だ!後日おたくの会社に問い合わせさせていただきます」と言い残してその場を去り、部屋に帰りましたが、本当に腹立たしい思いが収まらずに、一夜を過ごすことになってしまったのです。それにしても、その客の会社は、有名な農機具メーカーです。会社の社員教育はどうなっているんでしょうか。いくら酔っているとはいえ、看板を背負っているのです。同じ農業関連企業として、大変なイメージダウンです。少なくとも私は一生涯忘れることはないでしょう。それと、フロントは何と言って部屋に電話したのでしょうか?それが問題を大きくしている原因です。察するに、事情の説明も、謝罪の言葉もなかったのでは?

 この話は、これで終わりではありません。翌日、私が帰ろうとすると、靴がありません。きっと靴も例の部屋にあるに違いない。私は、もうあの部屋には行きたくないので、またフロントに靴を持ってくるよう言いました。しかし、どれも同じような色、形で、他人では区別が付くはずもありません。仲間を待たせているので、嫌だったのですが、仕方なく、その部屋へ行って、そっと見つからないように、下駄箱から自分の靴を取り返してきました。このように私は、散々な目に遭い、一刻も早くこの場を立ち去りたいと言う思いで、ホテルを出ました。私がフロントの前を通過したときには、


みんなで元気に声を合わせて、「ありがとうございました!」
  

 それから数時間後、ホテルの支配人が、会社まで謝まりにきましたが、正直「今更もう遅いよ」という感じです。

やはりホテルでは、昨夜の客のように横柄な態度で、大きな声を出し、顔を真っ赤にして、怒鳴り立てて、事を大きくしないと、事態の重大さに気付いてもらえないのでしょうか?


 このエピソードには、大変多くの教訓が含まれていると思います。これは他人事ではありません。まさか、我が社は大丈夫だろうか?大変心配になりました。社員教育はマニュアル教育ではなく、まさに人間教育だなと、自分自身改めて反省させられました。皆さんも、反面教師として、または「他人のふり見て、我がふり直せ」の諺どおり、このエピソードを自分の身に置き換えて、考えていただければ幸いです。

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代表取締役 秋本薫
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