私のプチれきしpart1 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12055304430.html
私のプチれきしpart2 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12068464411.html

私のプチれきしpart3 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12087220358.html

 

に続いての、私のプチれきしpart4をお伝えします。

 

留学先のネバダ州立大学にてBiochemistryから

音楽ジャズ科へ転身した私は

楽しく充実した毎日を送りました。

 

Randy Porterがオレゴン州から来なくなり

今度は当時NYからやってきたDavid Akeという

先生にジャズピアノを教わりました。

 

Renoという街は程よいサイズで、

レストランやクラブで行われるライブへ

車を足にしてビュンっと遊びに行ったり、

自分自身も演奏活動をしていました。

 

4,5時間走らせてサンフランシスコ周辺へ

有名なミュージシャンが出演する

Yoshi’sというライブハウス等へ

仲間たちと出かけたりもしました。


また、学校では年に一回ジャズフェスティバルが開かれ

その都度ビッグアーティストに出会う機会がありました。

 

Renoは砂漠気候による独特な空模様が

とても綺麗で、よく空を眺めていました。

細かいエピソードは色々とありますが

総じて自由に想像力豊かに過ごした時間でした。

 

そんな時間にも「卒業」という、

新たな扉がやって来て

私は人生の次なる選択をしていくのですが

そこでは笹嶋明夫さんというギタリストが

キーパーソンとなります。


当時、笹嶋さんはRenoにご家族と住んでいらして

ご縁があり私は二人の息子さんの

ベビーシッターのバイトをさせて貰っていました。


卒業後、学生ビザが切れても

まだ日本には帰りたくない

と考えていた折に、笹嶋一家が

フィジー共和国へ移住するとのことで、


「アシスタントみたいな感じで

一緒に来ない?」


というお話をくださいました。


「そりゃいいや、行きます行きます」


と、即決しました。

そして卒業後アメリカから帰国してから間もなく

私はフィジー共和国へ飛ぶのでした。