私のプチれきしpart1 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12055304430.html
私のプチれきしpart2 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12068464411.html
に引き続き、私のことpart3です。
留学を決めた私でしたが、いきなり一人で留学するのではなく
新宿にあるNICというネバダ州立大学の日本校へ一年通いました。
毎朝新宿へいくのに、恐怖の埼京線で足が浮いてました。
一年間通ったのち、ネバダ州リノ市へ上陸しました。
空港へ着いてサンドイッチを頼むのに成功したこと
6月なのに雪がちらついていたことなどを覚えています。
当初はBiochemistryなるものに進もうと考えていたので
そのつもりで一年間、教養課程を取りました。
その中のアート部門的なところで、
音楽科のジャズピアノレッスンというのがあり
迷わず単位として取り始めました。
当時オレゴン州から毎週リノへ教えに来ていた
Randy Porterというピアニストが
私の初めてのジャズピアノの先生でした。
何も知らないまっさらな私に
まず最初に彼はブルースを教えてくれました。
ピアノに横並びに座って、彼が伴奏で
「この音と、この音と、この音を使って弾いてごらん」と。
よくわからないけど弾いてみたら
とても楽しかった。
「あぁ、自由でいいな」
その感覚を知ってから、私は徐々にJazz pianoにのめり込んでいき、
教養課程という名目で
ジャズの授業を取り進めました。
続きます(短い!?)
私のプチれきしpart2 http://ameblo.jp/akimonk/entry-12068464411.html
に引き続き、私のことpart3です。
留学を決めた私でしたが、いきなり一人で留学するのではなく
新宿にあるNICというネバダ州立大学の日本校へ一年通いました。
毎朝新宿へいくのに、恐怖の埼京線で足が浮いてました。
一年間通ったのち、ネバダ州リノ市へ上陸しました。
空港へ着いてサンドイッチを頼むのに成功したこと
6月なのに雪がちらついていたことなどを覚えています。
当初はBiochemistryなるものに進もうと考えていたので
そのつもりで一年間、教養課程を取りました。
その中のアート部門的なところで、
音楽科のジャズピアノレッスンというのがあり
迷わず単位として取り始めました。
当時オレゴン州から毎週リノへ教えに来ていた
Randy Porterというピアニストが
私の初めてのジャズピアノの先生でした。
何も知らないまっさらな私に
まず最初に彼はブルースを教えてくれました。
ピアノに横並びに座って、彼が伴奏で
「この音と、この音と、この音を使って弾いてごらん」と。
よくわからないけど弾いてみたら
とても楽しかった。
「あぁ、自由でいいな」
その感覚を知ってから、私は徐々にJazz pianoにのめり込んでいき、
教養課程という名目で
ジャズの授業を取り進めました。
続きます(短い!?)