センチメンタルに
過去を振り返るわけではないけど…
だけど
自分自身が
この世界から
消えたかった…と
辛く思っていた
体験・経験を経て
今に至るまでの全てが
「必要として体験していたんだ」と
その出来事に対し
感謝する機会が
とても増えました。
なぜでしょうか。
そもそも
私が苦しかったり
私が悩んだり
私が不安だったりしていたのは…
私が
辛いことや
嫌なことから
いつもいつも
逃げていたから、です。
嫌なことや
辛いことは
いつも
誰かや何かのせいにしていました。
逃げて逃げて
逃げまくって
もう誰のせいにも
何かのせいにもできなくなり、
そして
とうとう逃げ切れなくなったとき、
私は
私自身と
向き合うしか
方法は
なくなっていたんです。
自死さえも
思うほどの苦しさ…
だけど
その原因は…
私自身の考え方のくせに
ありました。
「お金がないと生きていけない」
「肩書ある仕事じゃないと仕事とは言えない」
気づかぬうちに
私は
職業による差別感、
お金の奴隷、
人からの承認欲求など
抱えていて、
それが
苦しさを
生み出していました。

少しでも
他者より偉くありたい、と
そう思っていました。
スゴい人と言われたい、と
そう思っていました。
意識はしていなかったけど
そう思っていた自分に
気づいたのです。
「◯◯あるべき」
「◯◯すべき」
たくさんの観念概念に縛られ
がんじがらめになって…
「それは苦しいよね…」
今は
心底そう思うのです。
だけど
そのような体験や経験を
してきたからこそ、
自分自身と向き合い
想いを改善し、
言葉を整え、
行いを美しくしようとする
強い意志が
育まれていきました。
自分自身の想いのクセは
それはそれは「クセモノ」で…
だからこそ
強い忍耐を以て
対応する必要がありました。
そんな日々を積み重ねて…
今
私と
出逢う方々への関わりは、
優しい時間になりました。
たとえ
悩む人
悲しむ人がいても
私の目には
「今まさに体験を通し学んでいる人」と
映ります。
だから
学ぶ人に対して
私が放つ言葉は
「前へ進めるような言葉」に
なっていくんです、不思議と。
その言葉は
慰めではありません。
その言葉は
その場しのぎではありません。
自死しようとするくらいに
苦しかった
辛かった体験を経てきたからこそ
私自身の言葉として
放たれていく言葉、です。
誰かから借りてきた言葉や
本を読んで得た情報では
ないんです。
辛かったことも
苦しかったことも
そこから
気づきを得て
学びを得て
自分自身を変化・成長していけるなら…
その在り方や生き方は
自然に
周りに波及していく、と
私は
思うのです。

言葉が
誰かの勇気になり
言葉が
誰かの光になり
言葉が
誰かの希望になる…
体験や経験を経ての言葉。
言葉はエネルギー。
言葉は愛。
今
全ての出来事に
心から
感謝しています。
なぎの木整体
MOE