娘が
遊びから帰ってきて
私に
「ママどうぞ」
そう言って
手渡してくれたのは
花々でした。
一摘み一摘み
大切に採ってきてくれたのだろう、と
思います。
内側にあるものだけが
外側に現れる…
娘の想い(内側)にあるものが
花を摘んで
お母さんにあげる(外側)という
行為になって
表れ出てきた…。
私は
私自身が
学歴とか
偏差値とか
職業とか
年収とか…
そういったものに
価値を置き
人に負けてはならない、と
ずっとずっと
そうやって生きてきて
勝ち続け
得続けることが
幸せ=安心だと
勘違いをして生きていました、ずっと。
だから
心の底では
「何かが違う」と
感じながらも
それが何かは分からないまま
年齢だけを重ねていき、
教師をしていましたが…
その時の私の
外側(言葉・行為)に現れていたものは、
周りの人から
良く見られたいという
見栄やプライドなど
自分自身を
飾り立てたものばかりでした。
内側(想い)にあるものと
外側(言葉・行為)にあるものとが
ズレていて
そのズレが大きいほどに
私は
どんどん自分自身が分からなくなり
どんどん苦しみは増し、
やがては
自分自身の思考は混乱し、
言葉は暴言となり
行いは自死を図ろうとするほど
おかしくなっていました。
内側にあるもの=想い と
外側にあるもの=言葉・行為 とは
まるでコインのように
一体でした。
だから
内側にあるものと
外側にあるものとが
美しく整った時に
初めて
私は
私自身を知り
私自身がどう生きたら良いのかが分かり
【幸せの意味】を
見つけることができました。
子育てについて
いろんな情報が溢れていても
私自身が体験してきて
我が子に言えるのは
たとえ
有名校や
偏差値が高い学校や
高給職種についても
自分自身を追究することをしないで
【幸せ】なんて
絶対に無理、ということです。
幸いにして
私の子ども達は
私自身が苦しむ姿を
何年も
眼の前で見てきたので
私が
わざわざ
言葉にしなくても
【どう生きたら良いのか】は
十分に知っています。
辛い時こそ耐えて自分自身を磨くことを…
やがて
内側が鍛えられた時
外側には
自然と美しいものが
自然と素晴らしいものが
表現されていく、と
私は
子ども達と共に
それを実感し
感謝するのです。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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