フランスパンが

余りました。


今回は

あまり

売れ行きが良くなくて…

かなり

余ったフランスパン。



それを

ガスオーブンで

カリカリに焼き上げ

チョコラスクに

変身させました。



私は

余った料理を

棄てることに対して

良い気持ちがしません。



おでんのスープなども

余ったときには

さらに手を加えて

新しい料理にしていきます。




「棄てる」

「捨てる」




捨てる時に

何を

捨てているんだろうか、と

思います。




もちろん

それは

考え方次第であり、

必要に応じて

不要なものは

捨てなければ

家は

ゴミ箱になっていきます。



私が

表現したいのは

まだまだ

食べられるものを

いとも簡単に

捨ててしまうことに対する

疑問です。




小学校で

たくさんの子ども達を見てきましたが、

給食に出てくる料理に対して

好き嫌いを

声高に言う子ども程、

対人関係について

課題がある傾向が

見られていました。



一事が万事、

一時が万事です。








余ったものを

再調理するには

イマジネーションと

クリエイティブとが

必要です。

想像力と

創造力。


いわゆる

【智慧】です。



そして

【智慧】は

使わなければ

無いものと同じで、

逆に

使えば使うほど

次々に

溢れ出てきます。

「たくさんの人に笑顔になってもらいたい」

そんな想いが

根底にある時

智慧の出方は

さらに

強くなるように

感じます。




「食糧難」の時代が来る、と

言われたりしますが…



私は

「食糧難」とは

人の内側にある不足感だと

解釈しています。


不足感に付随する

心配や恐れこそが

何よりの

「食糧難」の原因であり、




自分自身で

プランターでも

小さな菜園でもいいから

種を蒔き

野菜を育てて

今あるものだけで

「智慧」を働かせて

余った食材で

味付けを変えたり

見映えを変えたりしていけるならば

自分自身の中に

これまでには無かった

【何か】を

感じられるようになっていく、と

私は

思うのです。





ネットで注文するだけで

顔も合わさずとも

食べたいものが

玄関先に置いてある…

そんな時代だと言うけど、



それで

商売が成り立つならば

いいじゃないか、と

言うけど…





私は

自分自身の料理は

少なくとも

自分自身で作り、

さらには

技術力を高めて

御縁ある方々へ

おもてなしできるくらいの

心の器の大きさを作り上げる世界のほうが

人の笑顔が

どれだけ広がっていくのだろうか、と

想いますし、

そんな世界のほうが

私は

幸せだと思います。




中国の方々から

数え切れないほど

料理を頂いてきました。


また

アメリカの方からも

数え切れないほど

料理を頂いてきました。


それは

全てが全て

手料理でした。



そして

それぞれの国の手料理には

それぞれの国を知るための

大切な智慧が

たくさん込められていました。





智慧の結晶の1つが

料理だ、と


改めて

感じています。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE