久しぶりに


水俣へ行きました。





知人に会うための


待ち合わせ場所として


“エコパーク水俣”に


足を運びました。












家族揃って行ったので、

水俣病資料館へ

行ってみました。
















私は

知りませんでした。










【水俣病は差別用語です。

 メチル水銀中毒症と

 名称の変更の必要性を

 求めます】









こんな文字を

目にしました。






日本の高度経済成長期に

命よりも健康よりも

優先されたものが

熊本県の地にありました。







【お金】











その後

新潟県でも

阿賀野川流域で

同じような公害が起こり

【新潟水俣病】と

言われました。






その時に

感じたものが

ありました。



「新潟県なのに

 なぜ

 “水俣”病と

 名前が付くのだろう」と。




かつて

大学時代の友人が

水俣高校出身で、

私は

彼女の出身地を聞いたとき

すぐに言いました。






「水俣病って有名だよね。」






かなり

長い月日が経ち

鹿児島で

結婚した彼女は

私に言いました。

「水俣病って

 言われるのが嫌で

 今

 私は

 出身地を訊かれたら

 熊本県の南部の方だ、と

 答えているの。」と。




私は

知らぬ間に

彼女を

傷つけていたことを

何年も経ってから

初めて

知ったのでした。






知らないということ。




知らないから

気づかぬうちに

言葉や行為で

誰かを

傷つけてしまったり、

同じ過ちを繰り返してしまったり…


























私は

小学校、中学校、高校と

社会科の授業で

水俣病について

教科書で目にし、

耳にしましたが…





私は

何にも知りませんでした。



頭に知識として

記憶することより



この社会に起こったことから

我が身に置き換えて

実際に

自分自身の在り方や生き方について

徹底して

真正面から向き合い

改善していくことの

重要性を。







【失敗学ぶ】




学ばないから

同じ過ちを

繰り返すこと…。






悲しい、とか

辛い、とか

苦しい、とか…





いつまでも

いつまでも

おんなじことを

感じるのは

【学んでいない】証だ、と…





一方で

おんなじことを

繰り返しながら



いつかは

自分自身で

自分自身の在り方や生き方について

改善する日が

必ず来るだろうことも








美しい水俣の海を

眺めながら

そう感じたのでした。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE