ここ最近


8歳の娘の言葉が


荒れていました。


しばらく


様子を見ていましたが、


改善される気配がなく、


やがて


娘は


兄に対して


絶対に言ってはならない


言葉を放ちました。










「しね」と。




















私は


その言葉を耳にし、


如何に対応すべきか、と


静かに


私自身に問いました。








私は

娘に言いました。



「座りなさい」と。





「話があるから

 座りなさい」と

静かに言いました。





娘は

分かっていたようです。




自分が叱られるであろうことを。







私は

訊きました。





「“しね”と言ったけど

 それは

 どんな意味なのか。」





答えは

ありませんでした。




さらに

私は

訊きました。。




「言葉は

 どう使うものなのか。

 人を傷つけるためか、

 それとも

 人と自分を

 幸せにするためか。」





娘は

答えません。





やがて

娘は

涙を流し始めました。





そして

言いました。



「だってね

 だってね

 お兄ちゃんがね…」



娘は

自分の正当性を

主張します。

さらに

こう言いました。

「最近

 眠くて

 なんだか

 気持ちが

 イライラするの。」と。



それでも

言ってはならぬこと

やってはならぬことがあること、

私は

厳しく伝えました。



そして

“眠くて気持ちがイライラする”ことについては

どう対応したらよいのか、を

一緒に考えていきました。




体調や精神的な面で

様々な状況に影響され、

自分から出てくる言葉が

美しくないのは

【自分自身の弱い心】が原因で、

弱い心に

打ち克つためには

どんな時でも

美しく生きようとする

強い心が

絶対的に必要であることを

私は

娘と確認しました。






この話は

娘にだけ

限った話ではなく、

その後

長男、次男に対しても

同じ話をしました。


一緒に

言葉を整えていくことを…。










さらに

遅く帰宅した夫に

一連のことを伝えたら




夫自身が

「自分自身も

 想い、言葉、行いを

 整えていく」と

答えました。






【厳しさの無い優しさは

 たんなる甘やかし】





今朝

私の中で

ハッキリ沸き起こった

言葉でした。





子育てに於いて、

あるいは

対人関係に於いて、

【優しさ】は

必要だと思います。





しかし

明らかに間違った行為に対し

「それは間違いだ」と

相手を想い

時には

厳しく伝えることは

ただただ【優しい】だけより

もっと大切になるときがある、と

私は

思います。




それは

8歳だろうが

3歳だろうが


はたまた


20歳だろうが


相手が誰であれ



必要ならば

智慧を使い、

言葉を選び

相手に伝える勇気が要る、と

私は

子ども達から

学んでいます。











熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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