長男が


イングリッシュホームステイから


戻ってきました。




沖縄に滞在中


長男は


旧海軍司令部壕へ


行ってきた、と


言います。







私も

かつて

行きました。

まだ

小学校に

入るか、入らないかくらいの

年齢の時に…。





私は

長男に訊きました。



「なぜ

 今回わざわざ

 海軍司令部壕跡地に行ったのか」と。






長男は

答えます。


「沖縄に来て

 海が綺麗。

 楽しい。

 それだけじゃ

 本当の意味で

 沖縄に来たことにならない。

 沖縄で

 何があったのかを

 知らなければ

 (実際にあったことが)

 消されてしまう。

 だから

 知るために

 観に行った。

 実際に

 足を運んでみると

 その空気感は

 半端無い。

 実際に

 行かなきゃ

 分からないことは

 たくさんあった…。」と。




私は

幼少期に

数え切れないほど

沖縄の戦跡に

父に連れられ

巡ってきました。




長いあいだ

私は

沖縄が

とても怖かったです。



だから

沖縄に行く機会があっても

戦跡には

できるだけ行かないようにしていました、

ずっと。






私は

見ないふりをしてきました、

ずっと。





だけど、

縁あって

沖縄へと

行くことになり

私は

少しずつ少しずつ

【自分を観るために】


沖縄の平和記念資料館や

ひめゆりの塔などを

1人で巡りました。





やがて

私は

気付きました。



不安や恐怖は

見てみないふりや

心理的に逃げようとし続ける限りは

消えないどころか

増幅していくことを。




私は

平和記念資料館の中で

展示物を見ながら

私の心の内側を

ずっとずっとずっと

観続けていました。






やがて

感じました。





歴史を

真正面から観ることは

相当な強い意志と

勇気がいること。



そして

それは

とりもなおさず

自分自身を観ることであり、

自分自身の生き方へと

つながっていくことを…。





この資料には

次のような

一文がありました。




毎日のように

艦砲射撃がある中で

壕の外に出ることができず

約3000人とも

4000人とも言われる人たちが

わずか450㍍の壕の中で

求めたものは…










外に出て新鮮な空気を吸うこと












外に出て新鮮な空気を吸うことが

“生きていることの実感だった”と。









スキューバダイビングで

20m、30mを

かつて潜ったことが

あります。



深く潜れば潜るほど

太陽の光は届かずに

だんだん暗くなっていきます。






スキューバダイビングは

タンクを背負いながら

息をしますが

この一息をすることが

私は

苦しかったのです。




深い海の中で

私が

観たものは、




どんなに深く暗くても

必ず

美しいものがある、ということと

海上に浮上したときに吸う

その一息の有り難さでした。






人生において

時に

苦しみという暗闇がありました。

しかし

そこから

逃げなかったから、

向き合ったから、

観えたものが

確かにありました。







長男が

ここで観たことは

机上で学ぶより

遥かに深い部分に染み入り

生き方そのものに

波及していくと

思います。




自分自身の心を

美しく磨き抜くこと…

その努力の積み重ねが

今だからこそ

より

大切になってきている、と

あらためて

感じています。

平和は

誰かが創ってくれて

享受するものではなく、

一人ひとりが

自分自身の心内に

創造できたときに

この地球上に

現れてくるものだ、と

私は

そう解釈しています。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE