「言ってくれてありがとう」


これは


長男から


発せられた言葉でした。


学年末テストが


間近に迫り


本人は


「勉強しなきゃ。


 今回こそは


 好成績を取る。」


とは言いながら


ふと私が見たら


ゲームをやっていた...


そんなことが


何回か続いたあるとき


また


長男が


言いました。





「勉強しなきゃ。


 今回こそは


 好成績を取る。」






私は


言いました。


「勉強なんてしなくていいよ。


 思う存分


 ゲームしたらいい。」と。




長男は


「何でそんなこと言うの?」と


沈んだ声で


尋ねました。





私は


答えました。



「【勉強しなきゃ。


  勉強しなきゃ。】


  何回も何回も何回も


  聞いているけど、


  言う割には


  ゲームしている時間が


  かなり長いように


  見受けられる。


  ゲームが遊び足りないならば


  思う存分


  飽きるまで


  ゲームをしたらいい。


  やがて


  ゲームに飽きたとき


  本気になって


  勉強するだろうから。」









かなり


長い時間


沈黙は


続きました。







やがて


長男から


出てきた言葉


「言ってくれてありがとう」


でした。





かなり


手厳しい言葉でした。


しかし


長男は


その後


付け加えて


こう言いました。




「言われないと


 自分自身に甘えてしまって


 ズルズルと


 ゲームをやっていて


 また


 同じ事を


 繰り返すところだった」と。








かつて

私に対して

「あなたは

 井の中の蛙だね。」

そう言った方がいました。


私は

当時

なぜ

そう言われなきゃならないのか、

腹が立ちましたし、

言われる理由が

分かりませんでした。

だから

何も言い返しませんでした。

「言ってくれてありがとう」とも

言えませんでした。



月日が流れ

私は

“井の中の蛙”を

追究していった先に

観えた景色は



美しい【アオ】でした。

それは

まるで

沖縄のマリンブルーであり、

沖縄の空の色であり

私の好きな藍染めの色となって

光りました。

碧・藍(あお)




ひたすら

自分自身を追究していった先に

地球のアオが観えた時



私は

「あなたは

 井の中の蛙だね。」と

私に対して言った方に

初めて

「言ってくれてありがとう」と

伝えることができました。





以来

私にとって

碧は

“生き方・在り方”を

現す色となりました。

と同時に

“みどり”も

私にとって

“生き方・在り方”を

現す色となりました。

そして

私は

知りました。

“みどり”も

【碧】という漢字が使用されることを。







時に

とても厳しい言葉を

どうしても

伝えなければならないことも

あります。






それは

怒りでも無く

相手に対する裁きでも無く、

相手に対する批難批判でも無く、


在るべき道を共に進み行こうと言う

想いから放たれる言葉。





長男は

短時間で

それを理解できたからこそ

「言ってくれてありがとう」と

表現できたのだ、と

思います。




想いは

言葉となって

行為となって

現れいずることを


改めて

感じています。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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