熊本県で


大地震が起こったあの時...


我が家もかなり 揺れ


水は


茶色く濁り、


とても


料理に使える水では


ありませんでした。


有り難いことに


ガスと電気は


通っていたため、


トイレが


使用できたことは


幸いでした。


近隣の家で


築年数が


長い家ほど


被害は大きくて、


車中泊する人も


少なくはありませんでした。





我が家は


被害が無かったとは


言えない状況でしたが、


それでも


何とか


生活ができていた...


そんな私の元に






【お風呂を貸して下さい】と


最も被害が大きかった地区に住む


元職場が同じだった女性と


その家族がやって来ました。






浴槽に


水を張ったら


1回目は


茶色く濁っていたため


廃棄し、


2回目の水は


何とか大丈夫だろう、と


思われて


お風呂を提供しました。






まだ


一歳にならない


赤ちゃんを連れ、





また


乳がんにより


胸の一部を切除した


彼女のお母さんを連れ...





熊本地震の被災者に対して


無料提供をすると言われる


大浴場には


【入りづらかった】と


言いました。










私は


彼女達ご家族が


お風呂に入られている間に


簡単な食事を


作りました。






酵素玄米のおにぎりと


味噌汁、


そして


卵焼きでした...。









おにぎりと


味噌汁を食べた彼女は...








「美味しい...」


そう一言つぶやき


泣いていた...


そんな姿を


記憶しています。





温かな


ご飯と味噌汁。






被災した時


私たちが


食べていたのは


寿司でも


焼き肉でも


カレーでも


ありませんでした。





私たちが


食べていたのは






そして


食べたかったのは


ご飯と味噌汁。







日常生活にある


毎日食べている


ご飯と味噌汁があれば


【生きていける】


そう思いました。




足元の生活が


どれだけ


大切かを


実感しました。






そして...


最も被害が大きかった地区の方へ


私が


あの時


被災者が一番必要とするものを


提供できた


一番の理由は


繋がりがあったから、でした。







“繋がり”は


日常生活で


普段の中に


少しずつ


少しずつ


築かれていくもの。



そして


日常生活で


“繋がり”があるなら


非常時には


必要なときに


手を差し伸べられることが


可能になります。





“必要な手”は


何か


特別なことでは


ありません。




我が家が


お風呂や食事を


提供したことも


“特別なこと”では


ありませんでした。






一家族だけで


頑張れる最善を尽くしても


どうしても


困難な状況のとき、


日常生活から


繋がりがあったなら


協力を求めることも


できるはず...。













私に


石川の地震が起こった時に


「何をしたらよいですか」


そう訊いてこられた方がいました。







“被災地の方が


何を必要としているのか”


そのニーズが


分からなければ


答えようがありません。





だけど...


熊本地震のあの時、


私が


一番欲したものは






【安心】




でした。












そして


気付きました。






“安心”とは


日常生活に於いて


自分自身を知ろうとする


努力の積み重ねによって


構築されていくことを。





何より


熊本地震は


私に


在り方や生き方そのものを問う...






その


きっかけとなった


大きな大きな大きな


出来事となり、


今に


繫がっているのです。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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