歴史は
受験のために
暗記するものでは
ありません。
歴史は
人類が
これまで
歩んできた道を
振り返ることで
同じ過ちを
繰り返さないための
1つの教訓でもある、と
私は
今は
捉えています。
だけど
気をつけたいのは
同じ事象があっても
立場によって
または
理解度によって
表現する人の意図によって
さらには
時代の変化によって
全く意味合いが
変わってくる...
ということ、です。
歴史や
数学
英語や
国語
音楽や
美術
家庭科や
技術...
様々な教科が
分類され
中間テスト、
期末テストで
点数化されていますが、
その教科の 記憶量で
“人生が幸せになる”確約には
なり得ません。
次男坊が
「歴史が苦手だ」と
言ったとき
その理由を訊いたら
「事象と年数の暗記が要るから」
という答えでした。
例えば
1192年 鎌倉幕府成立...
あれだけ
一生懸命に暗記したのに
今
この年数ではなくなりました。
何のための
歴史何だろうか、と
あらためて
問いたくなります。
歴史を観る...
例えば
熊本地震があった時
かなりのデマが
流れました。
確かでは無い
情報の出元の中には
ドクターもいました。
当時の私は
驚きました。
そして
気付きました。
全てとは
言いませんが、
デマを流す源にいるのは、
自らは
安全な状況下にある人が多い...
ということ。
私に
デマを
教えてくれたのも
被災しなかった
関西に居た
いとこでした。
窃盗団が
車に乗って
被災した熊本にやって来る...
そんな内容でした。
他にも
本当らしい情報が
ネット上に流れましたが...
同じ事は
大正時代の
関東大震災でも
あったのです。
テレビを観ない我が家で
8歳の娘が
ふと付けたテレビでは
石川県の地震でも
全く同じ状況が
起こっていると
ニュースで流れているのを
耳にしました。
じゃあ
どうしたらよいのでしょうか。
本来ならば
天変地異や
異常気象などによる
影響が起こっていない
普段の日常生活の中で
しっかりと
自分自身の内側を観て
周りに振り回されない
【自分】を確立し、
どんな状況下でも
揺れない不動心を
築き上げておくことが
何よりではないでしょうか。
静心でなければ
物事の真実は見えないし、
見えなければ
適切な判断さえできません。
静心であるならば、
他者に対して
必要な手を
差し伸べることも
できるのではないでしょうか。
“歴史”とは
過去のものではありません。
“歴史”とは
“今”を
生きること。
何回も
何回も
何回も
“同じ過ちを繰り返している”のは
歴史から
学んでいないからでは
ないでしょうか。
本当に
“歴史を学んでいるならば”
日常生活において
学んだことを生かしている、と
思うのです。
情報に左右されない...
大切なことは
いつも
目には見えない
耳にも聞こえない
触れることもできない...
だけど
すぐ傍にある...
“歴史”が
私に
教えてくれていること。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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