病弱だった私は


毎月のように


病院に通っていました。


大学受験直前に


高熱が出て


病院に行ったときは


さすがに


病院で泣きました。


「なぜこんなに自分は弱いのか」と。


身体の弱さだけでは無く、


精神面の弱さを


私は


誰よりも感じていました。


そんな自分を否定し


「もっと強くなりたい」と


思っていました。




身体の不調の時、

精神面の自分の在り方が

浮き彫りになる、と

体験から

気付いていきました。



なぜ

あんなにも

病気をしていたのか...



理由は

幾つもあるのでしょうが、

その1つとして

挙げられるのは

「病気になることで

 イヤなことから

 逃げられるから」でした。



症状が大きければ

大きいほどに

周りの人は

「仕方ないよね。

お大事に。」と

仕事を肩代わりしてくれました。



そして

「大丈夫?」と

気遣ってくれました。




だけど

幸せじゃないのです。






何より

精神的な疾患は

身体的な症状として

目には見えないために

周りの理解は得られず、

また

自分自身でも

よく分からない

不安や焦りに

自分自身を責め、

余計に

袋小路に入ってしまっていました。






今回

鹿児島から帰って

2日後に

38℃を超えて

発熱しました。

その時に

私が

感じたのは

【浄化】

でした。

感謝でした。


鹿児島から

熊本へ

帰る時から

とても

眠くて仕方ありませんでした。

高速を走っていたので

眠たいことは

危険この上ありません。

しかも

この時

私は

ホームステイする

大切なお子さんを

車に乗せていました。

鹿児島から帰って来て

車に乗る度に

眠たくて眠たくて

何故かと不思議に思っていました。

発熱した時に

身体って凄いな、と

思いました。

だから

眠たかったんだ、と

思いました。

身体は

いつもいつも

本来あるべき

身体の状態に

整えようとして

私が意識しなくとも

自然に働いてくれているんだ、と

この身体に

感謝しました。


この身体が在るからこそ、

誰かのために

必要なことを

為すことが可能になります。



私の大切な方が

こんな風に

メッセージを

下さいました。


浄化、、、

先月体調が悪くて

寝たきりになって

身体は動かないけど、

普段の生活ができてたことの感謝や

健康でも病気も関係なく

意識は正しく持てるものと感じました。

エネルギーが尽きて、

息をしてる事や

心臓が動いてる感じはできましたが、

命があるすばらしさ、

命があることでできることや

愛を表現できてると感謝でした




身体の不調の時にこそ問われるもの...

それは

自分自身とは

どんな想いを持ちながら

日々を生きているのか、

ということ。




身体の健康なときに

楽しい、とか

嬉しい、とか

幸せ、とか

誰でも

思えるし

言葉でも

表現できます。


しかし、

身体の不調の時に

我が身を振り返り

心の奥底から

今の状況に

感謝し

自分自身を改善できるか...

そこに

本当の姿が観えてきます。






気付くと

ある時から

身体の不調があったとしても

【この状況は

 私に

 何を学べと

 言っているのか】と

自分自身に

問うようになっていました。


そして

薬を使わずに

自己治癒力を信じ

ひたすら

【寝ること】を通して

身体の回復を待ち

経過した暁には

身体は

とても

しなやかに

軽やかに

なっているのを

知りました。



この身体も

大切な神様から頂いた贈り物として

扱っていくことが

大切である、と

今日も

感謝しながら

この一瞬一瞬を

過ごし生きます。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe