まだ
薄暗い中に
夫は
出勤します。
出勤間際に
植栽のもみじを見て
言いました。
「今年のもみじは
色付かなかったね」と。
?????
今年のもみじは
とても
美しく鮮やかに
綺麗な赤色を
見せてくれています。
なのに
夫には
「色付かなかったね」
と
見えたのです。
確かに
朝は
まだ薄暗いうちに
家を出て、
帰宅する頃は
日が暮れて
真っ暗です。
昼間の太陽の光の下で
夫は
もみじを見ていません。
暗闇の中では
本当の姿は
見えないことを
夫から
気付かせて貰いました。
私が
“暗闇”というのは、
悩みや苦しみや
怒りや嫉妬や
後悔や傲慢さや
不安や心配や
自己憐憫などを
意味します。
一方で
“光”は
自分自身と
真面目から
向き合い続け
自分自身を改善し
日々
己を磨いていく中で
高まり往く意識状態を
意味します。
この世界に在るものの姿は
暗闇の中にいては
何にも見えないし
分かりません。
だから、
思うことや
言うことや
行うことにも
分からない故の
間違いも起こります。
また
分からないから
悩みや苦しみや
怒りや嫉妬や
後悔や傲慢さや
不安や心配や
自己憐憫などを
抱えています。
だけど
自分自身の弱さから
目を背けずに
真面目から
自分自身と
向き合うことを
決めて
自分自身の想い、
自分自身の言葉、
自分自身の行いを
ひたすら
ただひたすら
「神様ならばどう思うのか」
「神様ならばどう話すのか」
「神様ならばどう行うのか」に
照らし合わせて
自分自身を改善していく日々を
重ねていくならば、
この世界に在るものの姿は
本当に光り輝き
美しく
色鮮やかに
映ると思います。
例え、
目には
困難な課題に思えるような
出来事が在ったとしても、
自分自身と
向き合い続けてきた人は
その出来事を
【神様からの贈り物】と
感謝できるでしょう。
暗闇にいては、
何も
見えません。
この世界は
ほら
こんなに
光に充ち満ち
美しいです。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe