昨年
カブの種を
半分
お譲りしました。
たくさん
あったからです。
私が
育てたカブは
種が採れるほど
立派には
育たず
カブの種を
採種することは
叶いませんでした。
ところが
遥か遠方の
淡路島に渡った
カブの種は
見事なカブとなり
種まで採れるほど
だったようです。
カブの種は
新しい命として
熊本に
還ってきました。
そして
私は
今年も
カブの種を
蒔きました。
カブは
どんどん
大きくなっていきました。
ところが、
去年と
少し【何か】が
違うのです。
・・・・・
白いカブの姿を
見せるものもあれば、
葉は大きいけど、
白いカブの姿を
見せないものもある...。
引き抜くと、
明らかになりました。
カブの種は
交配して
“純粋なカブ”では
なくなっていたのです。
種を蒔くときは
見た目には
全て
同じ種のように
見えました。
しかし
大きくなるにつれて
姿が顕わになるとき
その違いが
ハッキリしたのです。
“純粋な種”を
採ることが
いかに
難しいのか、を
目の当たりにした
出来事でした。
たしかに
アブラナ科の野菜は
交配しやすい、とは
聞いていましたが、
カブが
交配したら
こんな風になるとは
想像もしませんでした。
種蒔きした
次男は
交配したカブを
【だいこんカブ】と
名付けました。
同じように
“愛の種(命)”
“慈悲の種(命)”
“光の種(命)”
として
この身体を戴いた
私たち人間は
どうなんだろうか、と
思った時に
“純粋な種”として
想いを美しく
言葉を美しく
行いを美しく生きる
意識を持つことが
いかに難しいのかを
考えさせられました。
“純粋な種”を
純粋なままの姿として現すには
相当の
努力と
勇気と
忍耐と
強い意志が要ること...
それは
日々の
弛むことのない
地道な積み重ねが
必要であることを
改めて
観じました。
種=命
今年は
“純粋な種”が
採れるよう
今日も
畑へ
行ってきます。