かつて
私が
まだ独身だったとき
友人が
幼い子ども2人を連れて
我が家へ
遊びに来たことがありました。
その時
私は
教員採用試験を受けるために
受験勉強に専念すべく
仕事はしていませんでした。
私は
子ども達を
迎えるにあたり
手作りクッキーを
準備していた...
その時
母は言いました。
「おもてなしの
お菓子は
買えばいいじゃん。
お金を払うのが
厭なんでしょ」と。
月日が
流れました。
私は
結婚し、
子どもも
産まれました。
そして
何か
事を為すとき
時々
夫に言われました。
「買えばいいじゃん。
早く終わるし。」
「買えばいいじゃん。
楽だし。」
「買えばいいじゃん、
美味しいし。」
「買えばいいじゃん」
「買えばいいじゃん」
「買えばいいじゃん」
確かに
お金を支払えば
手に入るものは
たくさんあるかもしれない。
また
お金を支払うからこそ
必要なものを
得ることもできる...
だけど
余りにも
安易に
「買えばいいじゃん」で
日常生活を過ごすとき...
そこには
大切な【何か】を
手放してしまっているように
思うのです。
例えば、
手作りする過程に於いて
身に付く
智慧や
技術力。
相手を想う気持ち(愛)。
創る過程で
その変わり往く姿から
モノが単なるモノではなく
想いが形になって表れた
唯一無二の“命”であること。
時間も
手間も
労力も
全てを込めて
創る時
目には見えない
大切なものが
確実に
内面で
育まれていっていることを
感じるから....。
野菜は
1日じゃ
成らないのです。
同じように
ホンモノは
時間がかかり
ようやく
完成するもの。
そんな風に
自分というものも
時間をかけながら、
磨き育んでいくものだ、と
今
改めて
感じています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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