三線を始めてから


気付かされることが


たくさん


あります。



三線の楽譜は


【工工四】(クンクンシー)と


言われていますが...




この工工四が


読めると


三線の音が


出せるわけです。




単音ではなく、


メロディとして


奏でることが


できるのです。





その時に

思いました。




人って

“美しいものや

綺麗なものや

素晴らしいものを

分かち合いたいんだ”と。




分かち合うためには

共通で分かる

“何か”が

必要です。




西洋ならば

 それは

♪楽譜♬となって

表現され、

沖縄では

工工四として

表現されたのです。





では、

人間同士が

分かち合うためには

“何”が

必要だったのか、と

思った時


言葉は

お互いに

分かち合うために

とても

有効なツールになる、と

思いました。



しかし

分かち合うツールは

1つでは無いように

思います。



笑顔1つ、

無言の頷き1つ、

軽く肩に触れる行い1つ...

その根底にあるのは

【想い】です。

行いを為そうとするとき

言葉を表現しようとするとき

全ての根底には

“想い”があります。




分かち合うためには、

この想いが

美しいもの

素晴らしいもの

綺麗なものである必要がある...






海で山で

三線と琉球笛で

朋友と

曲を奏でながら

【分かち合ったもの】が

ありました。






それは...




“命”をかけて

自分自身と向き合い、

自分の中にあった

依存心や

人を裁く心や

被害者意識や

お金に対する執着や

職業の肩書き...

それらが

自分自身を苦しめていた

原因だった、と気付き

ひたすら

自分自身を

改善することだけに

意識を向けて

努力を積み重ね、

そして...

「一皮」どころか

「十皮」も剥けた世界に

生きることができる、

感謝と

幸せでした。



“幸せ”

分かち合える...







それこそが

生まれてきた目的

生かされている意味だと

感じました。




“自分自身を知ること”を

ひたすら

追究し、


自分自身を

ひたすら

改善し、




今も

改善し続ける

努力ができることに



共に

取り組める【朋友】がいることは

なんて

幸せなことでしょうか。







私の周りは

どんどんと

“幸せ”が

拡がって行っている...



本当に

そう

私は感じ、

感謝するのです。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe