ニュージーランドに


30年以上も


住んでいた方と


話をしたことが


ありました。


30年ぶりに


日本に帰国して


日本に住み始めて


気付いたことがある、と


言われていました。





「日本には【家】が無い」と。




どういう意味かと言うと


両親は


共働き、


子ども達は


休みの日でも


学童に行き、


高齢者は


高齢者施設に入所し、


家には


誰も居ない...。



そして、


本来ならば、


家庭で


料理を作ったり


服を作ったり


野菜を育てたり


家に


“ 生きるための創作”が


あったものが


今は


全く


消えてしまって


みんなが【忙しい】と。






ニュージーランドは


親しい方々と


食事でもてなすときに


外のお店で


食事をすることは


ほとんどないそうです。



大切な方々だからこそ


自宅に招き


手作りの料理で


おもてなしをするそうです。






その話を聞いて

「素敵だな」

「美しいな」

「素晴らしいな」と

思いました。



確かに

手作りの料理で

大切な方々を

おもてなしをすることは

簡単ではありません。

事前の掃除に

食材の調達に

料理を作る手間ひま。 


だから

素晴らしいんです。





料理を作るときに

自分自身が

何を想うのか、

自分自身を観ながら

料理を作ります。

時間に追われて作る料理では

決して

美味しい料理にはならないので、

ゆとりを持たせて

早めの調理をします。



そんな風に

誰かを想いながら

調理ができることは

実は

とても

“幸せなことだ”

気付いたのです。




1人だったら

確かに

楽です。


手軽に

何でも

済ませることができるから。



だけど...

“誰かのために

何かができること”

その人の

在り方や生き方を

現しているように

思ったのです。




忘れるな

琉球の心

武力使わず

自然を愛する。


自分を 棄てて

誰かのため

何かができる





何も

特別なことでなくとも

立派なことでなくとも、

“誰かのため

何かができる”ことは

ちゃんと

足元にあること。



それは

どこかではなく

“家”にあること。



“家”(うち・内)が

整えば

全ては

幸せで在ることを

私は

大切な方々を

お招きして

あらためて

感じさせて戴きました。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe