数日間
家を空けました。
帰宅すると
・・・・・
思わず
写真を撮るほどの光景が
目の前に
拡がっていました。
これが
“お母さん”が
家を空けるということなんだな、と
思いました。
しっかり
埃まであります。
“お母さん”が
家に居ないと
内側は
こんなにも
乱れてしまうこと。
私は
この光景から
感じました。
“お母さん”が
家に居るということは、
そこに
“美しさ”がある、
ということ。
そこに
“安心”がある、
ということ。
そこに
“笑顔”がある、
ということ。
そこに
“幸せ”がある、
ということ。
では
“お母さん” って
なんの象徴なんだろうか、と
自分自身に問うたとき、
“お母さん”とは
無限の愛だ、と
思いました。
見返りを
求めること無く
海のように深く
空のように広く
揺らぐことのない
無限の愛で
包みこむ姿の象徴...。
“お母さん”が
家を空けると
家は
乱れてしまう...
これは
私に
何を学べと
言っているのか、と
自分自身に問うたとき...
自分自身の内側に
“無限の愛”が無ければ
想いが乱れ
言葉が乱れ
行いが乱れ、
結果...
現れるものは
美しくは無い生き方・在り方。
それで
“幸せ”になれるはずも
ありません。
かつて
教師だった頃、
私は
子ども達の寝顔を見ながら
6:00には
自宅を出て、
帰宅すると
疲れ果て
絵本を読んで、と
私の元へ来る
子ども達に対して
「お母さんは
疲れているから
お父さんに
読んで貰って。
もう寝る。
おやすみ。」
そんな在り方・生き方でした。
その時
子ども達は
どんな表情をしていたのか、
私は
その表情を見る余裕さえも
無かったのです。
あの時
我が家に
“お母さん”は
居ませんでした。
私の中にも
“お母さん”は
居ませんでした。
お母さん=無限の愛
そのような意識は
全くなくて
とにかく
働くことに価値があり
学年主任とか
役職に就くことが
何より大事、だと
勘違いしていました。
私は
女性が
働くことを
否定はしませんし、
否定できません。
シングルマザーや
その他
様々な理由から
働かなくてはならない
状況下にある女性も
沢山いるから、です。
ただ、
その時に
思うのです。
“お母さん”を
自分自身の胸の内に
宿しておくことの大切さを
意識しながら
日々を生きることの
美しさを。
自分自身の
想いを美しく
言葉を美しく
行いを美しく、
そして
自分自身を改善する
努力を重ねながら
日々
仕事に向き合い
家庭に向き合い
生きようとするなら...
それは
きっと
子ども達へと
伝わっていくから...
子ども達は
いつだって
“お母さん”を
見ています。
だから
いつだって
光を放てる輝きを
大切にしていこう...
そう思いながら
今を
過ごしています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe