思っていました、


自分自身と


真正面から


向き合うことが、


こんなにも


辛く厳しいのか、と。





実際に


高校時代の友人が


「苦しい、辛い」と


表現してきた時に


私が


「自分自身を観てみよう」


そう伝えたら、


「今のままの私じゃダメなの」と言って


そして


「大嫌い」という言葉を


私に放ち


私から


離れていきました。



約1年前の話です。






自殺するほど

辛く、苦しく、厳しかった...

あの頃の私が

【自分自身と向き合うこと】が

できた理由は、



もう

そこにしか

解決の糸口がないことを

本能的に

知っていたからだと

思うのです。


数え切れないほどの

セミナーにも行ったし、

スピリチュアルワークもしたし、

心理学や

教育学、

哲学などを含め

散々やり果たしてきても...




それらが

ドン底のドン底にまでいた私を

救えなかったのは...



私が

本気になって

自分自身を

真正面から

観ていなかったから。




苦しかったあの時、

私は

夜中に

しかも

雪降る日に

約6㎞を

徒歩で

帰宅したことがありました。




そんなことを

何回も体験した後、

私の元に

畑がやって来ました。

35℃を超える真夏日に

私は

畑で作業をし、

-5℃の真冬に

私は

畑で作業をし続ける中で、

私は

“私を”

ずっと

見続けていました。



自分自身を

真正面から

ずっと

見続けています。






そして、

昨日、

私は

久しぶりに

約5.7㎞の距離を

月夜に照らされながら

帰っていました。

かつてと

ほぼ同じ距離を歩いていましたが、

私の心境は

全く違っていました。



雪の降る中

歩いていた道は

とても暗くて寒いものでした。




だけど、

私は

耐えたんです。




昨夜

私が

歩いた道は

満月に照らされて

歩み往く道が

どんなに暗くても

ハッキリと

浮かび上がっていました。




月は

私に

教えてくれました。




どんな暗闇(苦しみ)があっても

月のように

光を放ち

生きなさい、と。






私の見える景色は



全てが美しい景色に

変わりました。




辛く厳しいからこそ

あの時に

私は

自分自身の

生きる根っこが

強く

太く

深く

たくましく

育まれていたことを

知りました。


だから

ハッキリ

表現できるのは...




自分自身の中に

「嫌い」とか

「苦しい」とか

「裁く」とか...

そんなネガティブエネルギーが

あるならば、

それがあることを

【よし】としないで、

一点でも無くなるように

自分自身を

鍛え上げ

磨き上げ

光だけになるまで

自分自身を改善する努力を

積み重ねていくことの

大切さ、でした。



私は

自分自身に

甘えを

一切

許しませんでした。



だから、

高校時代の友人は

私から

離れていった、と

思います。




そして

私は

それはそれで

良かったのだ、と

思っています。



【友達ごっこ】する時代は

もう

過ぎ去りました。




これからの時代は

【ホンモノの関係】だけが

ある世界。



それは

自分自身と

真正面から向き合い

自分自身との繋がり(関係)が

美しく磨かれた暁に

現れるのだ、と

私は

そう解釈しています。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe