香港の方から


お茶を


戴きました。


手のひらサイズの


可愛らしい缶に


入っていました。


中国のお茶は、


日本のお茶と


味がまた異なり


日本は日本特有の美味しさが、


中国は中国特有の美味しさが


ハッキリ分かります。




ハッキリ分かります。





【分かる】






では


【分かる】って何でしょう。






この缶に貼ってある

お茶の銘柄だけを見て

「中国のお茶 分かる 」とは

誰も言わないと思うんです。

実際に

湯を注ぎ

飲んでみて

初めて

中国のお茶の味が

【分かった】...

そう言うと思うんです。





では、

在り方・生き方は

どうなんでしょうか。



本を読んだり、

誰かの話を聞いて


自分自身の頭に

ハウツーだけが

入ったとして

それを以て

【分かった】と

言えるのでしょうか。




見ているだけ

聞いているだけでは

お茶の缶を

眺めているだけと

そう大差は無いように

思います。






じゃあ

どうしたらよいのでしょうか。







味わうためには、

実際に

この身体を使って

体験.経験して

気付きを得て

学びを深め

実感するしかありません。



「読んだことや

 聞いていたこととは

 全然違った」

ということは

よく耳にする話です。






実際に

体験して

気付き得たことは

確信となって

周りの誰が

何と言おうと

ブレることはありません。




大切なことは、

この体験や経験を

【全てが

 必要として起こりうる

 学びの事象として

 感謝して受け入れること




想いを美しく

言葉を美しく

行いを美しくあるように

この一瞬一瞬を

いつも

注視しながら

自己の内側を

見つめ続けていくこと...




そしたら

必ず

気付けます。





「あっ

 今の想いは

 美しくは無かった。

 今気付けたから

 美しくあるようにするために

 こうしていこう。」



言葉も行いも

同じです。



そうやって

自分のクセを

改善して

改善して

改善して

改善して

改善して

改善して

改善して

改善して

改善して...








努力を重ねて....







時間がある時は

静かに

明想をする...





いえ

時間を創ってでも

明想をする....







その積み重ねが

やがて

【味】として

実感できる日が

現れてくる...




その時

初めて

【分かった】

と言えるのではないでしょうか。





同じ味が

2度とは無いように



味を

追究することに

終わりは無く、



同じように

努力することに

終わりは無く



私は

終わりなき努力ができる

今が在ることを

“幸せ”というのだ、と

そのように

解釈しています。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe