畑に毎日行き、


40㎏超える水缶を


一輪車に乗せて


何往復もし、


水やりをしていた


取り組み始めたばかりの頃。


何もかもが初めてで


分からないことばかりで


一生懸命でした。


とにかく


がむしゃらに


頑張りました。


しかし、


大量の虫に


芽は喰われ


種を蒔いても


種を蒔いても...


苗まで育つまで


いかないことも


度々ありました。




その時に


思ったことの1つが


“こんなに頑張っているのに...”


“こんなにやっているのに...”


でした。




その頃の私に


足りなかったもの...


というよりは


その頃の私が


学ぶ必要のあったことは


【抜く】ことでした。





“頑張っているのに”



“頑張り抜く






“やっているのに”



“やり抜く





「頑張っているのに」は、


頑張っているつもり、であって


甘えやうぬぼれが


私自身に気付けなかったけど


確かに


あったのです。





同じように


「やっているのに」は


やっているつもり、であって


さらなる


努力の必要性が


私自身に気付けなかったけど


確かに


あったのです。







【抜く】ことの大切さ。





“頑張り抜く”


“やり抜く”


“信じ抜く”







そんな風に


やり続けていくことが


“抜く”という言葉の中に


込められているように


思うのです。





そして


やり抜く過程に於いて


気付かぬうちに


努力や


忍耐や


勇気や


意思が


育まれていったことに


私は


後から


気付いたのです。





諦めないことです。





諦めたら


そこで


全てが


終わってしまうから...





だから


信じ抜くのです。





信じて


信じて


信じ抜いた時




それが


【貫く】


という文字になって


現れるのだ、と


思います。




“貫く”も


やはり


ツラヌク”で


“ぬく”が


付いています。






“貫く”とは、


取り組み続けた結果、


突き破ることができた


新しい世界の幕開け。





努力を続けた人にだけ


ハッキリと観える世界。







そこは、

本当の

【クマンドラ】

(“ラーヤと龍の王国”からの言葉)








そこには


不平不満や愚痴や


泣き言、


不安や心配や


嫉妬や後悔や


怒りや争いが無い


素晴らしい


美しい


綺麗な世界。








無限に愛が表現される世界。


全てが調和した世界。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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