生きることが
とても
苦しかった...
苦しみが
内側から
湧き起こるものだと
感じていたから
“心理学”を
学ぼうと思いました。
大学の心理学も
教育心理学も
障がい児心理学も
“心理学”と名の付く教科の
全ての
単位を取ろうと思ったのは、
“なぜ苦しむのか”
“苦しみから解放されるためには
どうしたらよいのか”
“生きる意味は何か”
その答えが
知りたかったからでした。
【心理学】
この学問の意味さえ知らずして
“心理学”を
学ぼうとしていました。
【心の理を学ぶこと】
では
心の理って
何でしょうか。
この“心”というものを
私は
小さいときから
ずっと
ずっと
知ろうとしてきました。
つかみ所が無い...
見えないし
音もしない、
だけど
強力な存在で
いつも
人生の主導権を握り
時には
怒り
時には
悲しみ
時には
不安になり
時には
驚怖になり
束の間の
喜びがある...
一時として
留まることが無く
不安定であり、
心を
知ろうとすればするほど
その姿は霧のようになり
また
迷いの中を彷徨い続けてきた
何十年...。
【心の理】
不安定で
安定せず、
いつも
過去や未来を思い
いつも
誰かや何か...
自分以外に
意識を行かせるもの。
心を知ろうとすればするほど
迷路に彷徨っていたのは、
【心は一定せず
不安定なものであり、
心の正体を曝くとき
心は消え去るから...
だから
心は
正体を気付かれまいとして
様々な感情を生み出しては
姿をくらます 】
だから
【心】を知ろうとするならば
【心】と同じ視点に居たら
【心】は見えては来ない...
【心】を知ろうとするならば
【心】を超えた意識から
【心】を観ること。
【心】を超えた意識=完全意識
完全意識は
理性や思考も超えた意識だから...
だから
徹底して
【自分を知ること】を追究し、
【自分自身を改善し続ける】ことを
やらなければ、
絶対に
理解できない意識の状態で、
完全意識には
限界も終わりも無いから
だから
努力するにも
終わりは無いわけで...
心は
磨き上げるものであって、
甘やかすものでは無いことを
私は
知りました。
不安定な心=私
そんな風に勘違いしていたら
いつまで経っても
“本当の自分”は
観えては来ないし、
大切なものを
次々に失ってしまうから...。
だから
今日も
心を制御できる
強い自己を創造するために
この一瞬一瞬を
大切に過ごそう...
そう思っています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe