18年ぶりに
夫と2人で
海に
潜りました。
結婚して
長男が生まれ
海に潜るとしても
子ども達 も
必ず
一緒だったのです。
夫婦で
【光の道を歩み往く】と
決めて
今生
出逢いました。
しかし
私は
生まれた瞬間に
この大切な大切な約束を
忘れてしまっていたようです。
【光の道】とは
ひたすらに
自分自身を
美しく
素晴らしく
改善する生き方。
海に
魚が居ることは
誰もが
知っています。
海を
海上から見て
誰もが
「海を知っている」
そう言います。
本当でしょうか。
私は
実は
泳げません。
沖縄に住んでいた
幼少期に
海で溺れて以来
水が
とても怖く感じます。
ましてや
私が
潮の流れのある海に入ることは、
並大抵の気持ちでは
できません。
「怖い、怖い、怖い...」
【怖い】ものを
いつまでも
持ち続けて
生きていくのか??
私は
自分自身に
問いました。
そして
私は
答えを出しました。
日の出前
私は
夫と共に
海に潜りました。
与論島で
数え切れない程
夫と
魚を見てきた私でしたが...
この魚を
夫と一緒に
初めて観ました。
ヘラヤガラ
というそうですが、
私には
イエロードラゴン
にしか
観えませんでした。
「海を知ってる」
海上から見て
海を知ったつもりかもしれませんが、
「海を知る」とは
実際に
海に入り
海の水を
肌で観じ
流れを観じ
魚と
共に
この海と
1つになることを
「海を知る」だと
私は
感じました。
独りじゃ絶対に行けなかった場所。
だけど
海を知り
時を読み
潮の流れを読み
地形を把握し
“行くべき道”を理解する人と
一緒なら
想像もしない
美しく
素晴らしい世界へ
行けることを
知りました。
甘えや依存では
絶対に行けない場所。
自分自身に
勇気と覚悟が産まれた時
始めて
エスコートしてくれる人が
現れること...。
それは
この世界に
産まれてきた意味や
生きていく目的や
自分自身とは何だろうという
人生の道の歩み方についても
同じだと
思いました。
正確に
この人生という道の歩み方を
知っている人が居なければ
素晴らしい
美しい目的地に
辿り着くことは
不可能です。
そして
私は
海の案内人だけではなく
この人生を歩み往く案内人にも
今生
出逢えたのです。
インドでは
この案内人のことを
【グル】と
呼ぶそうです。
グルは
口先の言葉だけで
伝えることは
絶対にしません。
グルとは
その想い
その言葉
その行い
その在り方
その生き方が
見事なまでに
完璧なんです。
だから
【自分自身も
このように
生きたら
良いのか】と
進み往く道が
観えてくるのです。
しかし
グルを見ているだけでは
その在り方や生き方は
変わりません。
まるで
海上から海を眺めていることと
同じです。
海に潜って
初めて
海を知るように
グルのように
想いを正し
言葉を正し
行いを正す実践して
初めて
実感できること...。
独りじゃ絶対に行けない場所がある...
だけど
仲間がいるなら
必ず
辿り着く場所があることを
幸せ、ということを
私は
納得しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe





