大切なものが
亡くなって
涙に濡れているときに...
そんな時
ただ
ただ
悲しみ(感情)に飲み込まれ
悲しみに浸るのか
それとも
何のために
今
こんな状況下にいるのか、を
追究することでは
同じ出来事が起こっても
今
ここから歩み往く道は
全くベツモノになる、と
私は
思います。
アオスジアゲハ。
何故か
我が家に
4、5日留まり
娘は
花を摘み
水を与え
できる限りの世話をし
アオスジアゲハは
亡くなりました。
僅か4、5日...
いえ
娘にとって
時間の長さは
存在せず、
どれだけ
大切に蝶と向き合ったか...
その想いが
強いほどに
【悲しみ】は
深く大きく
涙を流しながら
「なんで死んじゃったの」と
訊いてきました。
私は
娘に
訊きました。
「じゃあ
なぜ
アオスジアゲハは
生まれてきたのか」と。
大切なものの死は
今
なぜ生きているのか、
どう生きるのか、を
自らに問う
大切な機会を生み出す、と
葬儀に出る度に
思っていました。
【自分とは何か】
【何のために生まれてきたのか】
【なぜ生きるのか】
その問いを
自分自身が持たないで
日常生活を過ごしていて
いったい
どんな意味が在るんだろう、と
思います。
アオスジアゲハが
大切なことを
身を以て
教えてくれました。
娘は
初めて
【大切なものを失う悲しみ】を
味わえたからこそ
“生きる意味”を
初めて
考え始めた...
大切なきっかけになりました。
その答えは、
娘自身が
自ら
導き出していくでしょう。
どう生きるのか
どう在るのか...
それを
娘に伝えることができたのも
私自身が
【何のために...を求め続けてきたから】
です。
娘は
ハッキリ言いました。
「悲しみが少なくなってきてる」と。
【悲しみ】(感情)
というニセモノは
自分ではないから
“消えていく”のです。
娘は
内観して
そのことを
実感できたのです。
きっと
【私とは何か】の答えも
自分自身で
必ず
見付けていく、と
私は
確信しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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