不思議なんです。
何故
人間は
無いものを造っては
無いものに振り回されて
自ら
苦しんでいるんだろう...って。
そう思うには
ある出来事がありました。
13歳の次男坊が
プリントを
持ち帰りました。
そこに
【眠育の授業をしました】
と
書いてありました。
眠育???????
ようするに
充分な睡眠が
取れていない子ども達に
良質な睡眠を取るために
どうしたらよいのか、とか
良質な睡眠が
学習や身体発育に
どのような影響を
与えるのか...
という内容のようでした。
【眠育】の他
気付けば
【食育】など
【○育】という言葉は
どんどん増えていっています。
なぜだろう、と
思ったら
ごく当たり前のことが
“当たり前”として
為されていないから、です。
なぜ
できないんだろう、
なぜ
しないんだろう...。
なぜ
今の人は
【なぜ】を
もっともっと
自己の力で追究しないで
ネットや
占いや
カウンセラーなどの
外部のものに
頼るのだろう...。
我が家の子ども達は
それぞれに
身体を動かし
夜になれば
自然に寝ています。
私も
畑仕事をやり始めて
1年半が過ぎて
朝4:00には起きて
明想をし、
5:00には
弁当や朝食を作り、
9:00には
畑へ行き
午前中の畑仕事が終わったら
午後からは
夕飯の準備や
おやつ作りなどをしていたら...
夜は
22:00前には
爆睡しています。
布団に入ったら
5分以内で
眠りに落ちます。
その1日の中
私は
ずっと
意識を
私の内側に置き
“私”を観ているのです。
そしたら、
気付くのです。
言葉は
何かしらの
概念から生まれますが、
概念が
1つ
また1つ
消えていくと
文字を観ても
言葉を聴いても
その意味が
全く
分からなくなっていくのです。
日本語を聴きながらも
まるで
外国語を聴いているかのような
そんな感じです。
やがて
私の中に
残っていくのは
美しく
素晴らしく
綺麗な文字や言葉でした。
いろんな言葉が
生まれては
消えていきます。
だからこそ
言葉に飲み込まれず
感情や思考に囚われること無く、
常に
自己の内側を見続け
光(愛)で在ることの大切さを
いつもいつも
感じています。
自分自身の内側が
光で満たされていたら
ニセモノ(人を幸せにはしないもの)の
言葉に
振り回されることは
ありません。
【何故人間は
無いものを造っては
無いものに振り回されて
自ら
苦しんでいるんだろう...って。 】
人間は
イメージ力という
素晴らしい能力を与えられながら
その能力を
間違った方向に使ってしまった結果
自ら
苦しんでいるんです。
だとするなら
どうしたら
よいのか...。
その答えは
自己を見つめ続け
自己とは何ぞや、を
感じられたとき
見付かるのだ、と
私は
解釈しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe