数ヶ月前に


突然のギックリ腰になった時...


私は


横になったまま


動けませんでした。


帰宅した


次男坊と夫に


両脇を抱えられながら


施術室のベッドへ移動し、


ベッドの上で


夫の施術を


受けたのですが...





夫の施術は


痛い筋肉を


徹底して


ほぐすのです。



痛いところに


触れるので、


感覚を


“痛み”に向けたら


大声で叫んだり


発狂しかねないほどの


ものだったかも


しれません...。





ギックリ腰になってしまった


筋肉達の


関係する部位のほとんどは


硬直していました。




毎日


畑作業をするとはいえ


毎日


台所に立つとはいえ、


余りにも


身体のケアを


怠っていた証でもあったように


思います。




とにかく


あの時、


夫は


徹底して


痛みのある筋肉を


「これでもか、これでもか」


というほど


アプローチしてきました。



そして...


夫の施術が終わった時、


私は


自力で


歩けるように


なっていました。


腰回りに


若干の痛みが在ったとしても、


両脇を抱えられながら


移動していた私にとって


自力で歩けるということは


まさに


“奇跡”


でした。


【痛いことから

 逃げなかったから】

 身体は

 動けるようになったのです。


同じようなことが


心のことについても


言えたのです。


何年前になるのか...


私が


苦しみのどん底だった時


かなり


手厳しいことを


言われました。


言っているご本人も


「厳しいこと言って


 ごめんなさいね。」



言われるほどのものでした。


しかし


当時の私の口から


出てきた言葉は


「私は


 リップサービスを


 求めてはいません。


 言って下さり


 ありがとうございます。」


でした。







厳しい言葉=心に痛いこと







でも


私は


【なぜ痛いのか】を


追究し続けたのです...。




何日も


何ヶ月も


何年も...





そうやって


自己を追究し続け


自己を改善し続けるうちに





その厳しい言葉こそが


素晴らしい贈り物



あったことに


気付いていくのです。










「自分を知ろうよ。」


「自分を真正面から見つめようよ。」







そう言った私に


「怖い」と言って


離れていった人がいました。





そして


離れていった後に


その方は


私に対して


「ずっと大嫌いだった」と


言葉を放ちました。





それでも


私は


何一つとして


言い返すことも


しなかったです。








【もったいないな】




私は


そう思いましたが、


神様は


個々人に


自由に選択する権利を


与えているので、


私は


静かに見つめていました。






【心に痛いこと】は


“自己を磨くチャンス”だと


私は


感謝します。




そして


【心に痛いこと】を


言われたときに


私は


怒りや悲しみという


表現を以て


相手方に対して


反応しなかったので、



【痛いこと】を


言って下さった方々と


素晴らしい関係が


築かれているのです。





全ては


【愛】しか


ありませんでした。



全ては


【光】しか


ありませんでした。



全ては


【素晴らしい世界】だと



私は


感じながら



この一瞬一瞬を


過ごしているのです。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


Moe