もう何年前になるのか


時間の感覚が


よく分からなくなってきていますが...





私が苦しかった時


言われたことが


ありました。





「何回も


 何回も


 【苦しい、辛い】と


 言っているのは、


 まだまだ


 その苦しみが


 その辛さが


 足りないんです。


 味わいたいのです。


 もしも


 本当に


 苦しみや辛さが


 厭ならば


 今の今


 意識を切り替えますよ。」と...。





私は


その言葉を


聞いた時、


とても


腹が立ちました。




自らが選んで


苦しいこと


辛いことを


あえてするなんて、


そんなことを


するわけないだろ、と。




ところが...




言われたことは


まぎれもない真実でした。






苦しかったあの時


私は


自分でも


気付けなかった


思いのクセや


物事の解釈の仕方、


常識や


一般的な【普通】という


観念概念に


がんじがらめになっていて


それらに囚われていたことが


苦しみや辛さの


要因だった...と


気付けたのは


かなり


月日が


過ぎてからでした。




思いのクセや思い込みは


その存在に気付くまで


私を


苦しめました。




しかし


意識を


苦しみや辛さではなく、


「私は光なんだ」と


強い意志の力を以て


引きずり込もうとする


ネガティブなエネルギーを


振りほどき、


併せて


想いを正し、


言葉を正し、


行いを正していこうと


日々


取り組み続けていくと...






【苦しみ】を


選択するのも


【光】を


選択するのも


自分次第なんだな、と


思ったんです。







本気で

取り組み続けるならば

絶対に

「苦しい」なんて

言わないし、

放つ言葉が

どれだけの影響力があるのかを

知るならば、

なおのこと

この一言一言を

大切にします。





「苦しい」と

言っていたあの時、



私は

小さな子どものように

単に

誰かに

甘えたかったのです。

愛されたかったのです。




苦しい私ならば

誰かが

構ってくれるはず...




“自分”を追究せず

“自己”を知らなかった私の

無知さと

傲慢さと

甘えの表れでした。




自己を

本気で 

追究するならば、

私の内側には

溢れるほどの

エネルギーが

実感できるはず...



そして

実感できるまで

努力を

重ねていくしか

なかったのです。




あの時の

苦しみが

この文字を

創造することを

可能にしました。




そして、

この文字は


必要とする方が

目にしているから

あの時の

私の体験や経験は

必要として起こったのだ、と

私は

納得しているのです。


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

Moe