私に


気付きを与えてくれる


メッセージが


届きました。


きっと


少なからずの人にとって


思い当たることかもしれません。


一部を


記載します。




ここのところ、


私の体が心が


マイナスの感情で覆われています。


切り替えそうとしても、


それ以上の恐怖感が


被さって脳が疲れています。


頂いたお手紙を


なんども読み返したり、


言霊の愛、光、神、不動の心。


思考のクセを


見つめれば見つめるほど、


自分に執着して


抜け出せなくなって


悪循環にいます。


今日は一日中でした。


でもだからこそ、


もえさんからのお手紙が


届いたのだと思います。


もえさんが以前ブログで、


(何度も何度も何度も、


 何度も、何度も、、という言葉が


 でてきたのを記憶しているのですが、、、)


もえさんも


こういう苦しい心を繰り返しながら


今に至るということですか?




前に比べたら


日常を当たり前に思わず


感謝を感じます。


でも、


まだまだ


マイナスの感情がよぎると


恐怖感がわき出て


たまらなく苦しくなります。




私は


こうお応えしました。




見つめるのは思考のクセではありません。


見つめるのは、【神.愛.光のみ】です。


それだけを見つめながら、


日常生活で様々な出来事の中から


自分の思考のクセの在り方に気付く瞬間に


「神ならばどう思うのか」と


常に思いを馳せながら改善するのです。


思考のクセにはパターンがありますから、


すぐに気付けます。


気付くだけで良いのです。


気付けるからこそ改善できるからです。


苦しい状況を繰り返して


今に至ったのではなく、


常に改善、改善を積み重ねて


今に至ったのです。


思考のクセを見つめていては


苦しみのみです。


見つめるのは1つだけしか無いのです。


神、それだけです。





言葉の解釈の違いです。


文字の受け止め方の違いです。



【神】という表現も


【エネルギー】でも


【優しさ】でも


【愛】でも


【光】でも


しっくりくる表現で


良いのです。




本をいくら読んでも


セミナーにいくら行っても


私が


変われなかったのは


間違った解釈を


適切に


指摘してくれる人が


いなかったからです。



【自分を知る】とは


思いのクセに気付き


改善することではありますが、


思いのクセを見ることではなく


意識を


いつも【光】だけに


向け続ける努力をし、


ついつい


これまでの


弱気や泣き言や怒りや心配など


思いのクセに引っ張られそうになる心を


意思の力で


【光.優しさ.愛】に


留め置く中で


心が磨かれていき


【自分を知る】ことに


繫がっていくのだと


私は


解釈しています。




しかし


まだまだ


道半ばです。



だからこそ


色んな体験や経験を経て


さらに


内面を磨き続け


 “真実を観る眼”を


育んでいっているのでは


ないでしょうか。





言葉は


同じ表記であっても


受け止め方の違いによって


意味合いは


180°も変わってしまうことがある...



だからこそ、


いつも


意識の在り方に


注視していようと


心がけています。




熊本県合志市野々島


なぎの木整体


Moe