今朝
ふと
私の中から
沸いてきた言葉
“離れてから気付いたよ”
30年以上ぶりに
(鹿児島県)鹿屋の地を
踏む流れになった時...
鹿屋の地を
調べてみました。
私が
中学時代に過ごした鹿屋とは
ずいぶん
変わった所と
変わらぬ所とが
あるようですが...
中学時代
生活する場所として
住んでいた鹿屋は
あまりにも日常的で
当たり前過ぎて
鹿屋に
どんな素晴らしいものがあるのかさえ
想うことも
考えることもせず、
いつも
遠くに行けば
もっともっと
楽しいものや
綺麗なものがある...
そう想っていたあの頃。
実際に
フェリーに乗って
何度か
鹿児島市内へ
遊びに行っていたものです。
日常生活から離れた
鹿児島市内は
それはそれは
きらびやかで
美しく
光り輝くように
見えていました。
引っ越しにより
鹿屋を離れてから
私は
鹿屋の素晴らしさや
鹿屋の美しさ...
そして
鹿屋の歴史について
知ることになりました。
【離れてから気付いたよ】
私が
自己を追究していく過程で
自己を知るほどに
自己の中には
これまでの私が
気付きもしなかった
感じもしなかった
素晴らしい
美しい
素敵な面が
次々に現れてきます。
本来は
光り輝くそのような在り方が
“私”だったのでしょうが、
間違った在り方や生き方によって
“自分”を創っていき
自分自身を苦しめたり
悲しませたり、
あるいは
他者を傷つけたりするような
そんな世界に
本来の在り方から
離れてしまっていたのです。
だから...
【離れてから気付いたよ】
この一言は
そんな苦しみや悲しみという
自己を真正面から
観ることをしなかった私の生き方が
あったからこそ、
本来の
自己の素晴らしさや美しさは
努力によって
積み重ねてきたものとして
大切に大切にしようと
自然にそう想えてくるのです。
本来の素晴らしさや美しさ...
“離れてから気付いたよ”
だけど、
気付いたから
また
戻ってきたよ...