長男が
微積のテストを終えて
帰宅した日、
明らかに
いつもと
違いました。
声に張りが無く
表情が冴えないことは
すぐに分かりましたが、
何も私は言いませんでした。
すると
長男が
言いました。
「3週間前から
微積のテスト勉強
あれだけやったのに
できなかった...」
「やったつもりなのに...」
「なんで、なんで...」
初めのうちは
話を聴いていました。
しかし
なかなか
気持ちを切り替えられない
長男に
今は
どんな言葉も
届かない、と
私は
思いました。
それでも
長男は
私に
テストについて
同じ事を
話してきたときに
私は
慰めの言葉では無く
励ましの言葉でも無く
あえて
言いました。
「“やったつもりなのに”って
言ったけど
“つもり”は
自己 の甘えと傲慢であって
“やりきった”と
言い切れるまで
テスト勉強を
やり抜いたのか?」と。
さらに
「終わった
微積のテストより
明日のテストに
気持ちを切り替えて
テスト勉強に
取り組む方が
賢明だと思う。」
「それだけ
落ち込むならば、
この微積のテストから
あなたが
“何を気付きとして
学び得たか”を
自分自身で
導いてみてごらん」と。
その後
長男は
微積のテスト結果について
一言も
言わなくなりました。
言わなくなりましたが、
静かに
涙を拭う姿を
私は
ハッキリ見たのです。
【ここまでする必要はあるのか】と
私自身も
私に問いました。
“お母さんは1番厳しい”
中3だった長男が
以前
私に
言ったことがありました。
高専の
推薦入試にあたり
面接の練習を
私と
長男は
何回も何回もしました。
私が
試験官役になったのです。
私自身が
教員採用試験を
6回も受け、
散々
面接の練習は
やって来ていました。
長男が
高専の推薦入試に
合格したとき
私に言ったことは
「中学校の先生も
面接の練習をして下さったし、
実際に
高専の推薦入試の面接を受けたけど
お母さんの面接の練習が
1番厳しかった」
でした。
確かに
面接の練習のときも
長男は
何回か
泣いたことがありました。
これは
次男、長女も
同じです。
私は
そんなには
数多く話しません。
しかし
生き方や在り方について
甘えや怠惰や依存が見られたら
そこは
見過ごしません。
真正面から
向き合います。
絶対に
子ども達から
逃げません。
例え
子どもが
泣いたとしても
私は
動じません。
感情によるものでもなく
理論理屈でもなく
“しかるべき道”の視点から
子ども達に
分かる言葉で
伝える努力をします。
これは
楽では無いです。
自己が
確固とした道を
歩いていなければ
できないことです。
しかし
子ども達は
毎日の私の姿を観ているので
指摘された点について
改善しようと
努力するのです。
子ども達も
私の至らない点については
物怖じすることなく
伝えて来てくれますし、
伝えてくれたことに対して
私は
「ありがとう」と
感謝します。
私たち家族は
こんな風にして
日々を
大切に
過ごしています。
家族の絆
私は
その絆に
光を観ています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe