漢字って
凄い...
そして
素晴らしい、と
思います。
その一文字で
“想い”を
端的に
現すことができます。
しかも
【おもう】という
オト(音。響き)を
漢字にしようとするときに
【思う】なのか
【想う】なのか
【念う】なのか
はたまた
【重う】なのか、
意識しなくても
瞬時に
感覚として
理解している
日本人の感性の美しさに
感嘆してしまいます。
ある中国の方は
日本に来てから
もう20年以上になりますが、
「なぜ
たくさんある国々の中で
日本を選んだのですか」と
訊ねたら
「日本は
中国と同じように
漢字があるから。」
と
言われていました。
そんな漢字を
“幸せ”であるための
美しい道具として
用いようと
意識を持とうとするとき、
オト(音。響き)は
羽を付けたように
輝きを放つように
感じます。
意味
分かるでしょうか。
例えば
【テントウムシ】
というオト(音。響き)を
漢字にするとき
【天導無私】としたら
どうでしょうか。
“天の導きには
(個という)私は無い”
つまり
エゴ的なものは
一切無いのが
神様の導き方なのだろうな、と
思ったりもするのです。
さらには
【あか】という色も
【赤】が一般的ですが
【緋】もあれば
【朱】もあるし
【紅】や
【茜】などもあります。
日本人が
素晴らしいのは
この【あか】という色を
微妙な色合いの違いによって
漢字表記の使い分けができていた
日本人本来の感覚です。
自然と共に生き、
自然を敬い
自然から学ぶ日本人だからこそ
育まれていった感覚は
自然の中に還るならば
自ずと蘇ってくるように
感じます。
機微絶妙である
心内を
何とか表現したい...
そのツールの1つとして
漢字(文字)があるならば、
表現は
美しく
素晴らしく
素敵なものであるよう
一人一人が意識できるならば
この世界は
自然が
調和し美しいように
人の世界も
本来の美しさが
現れる、と
私は
確信しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe