8月6日
毎年
夏が来るたびに
テレビでは
特集が組まれ
1941年~1945年に起こった
当時の様子を振り返り
日本の社会全体が
“なんとなく”
【戦争と平和】について考える...
そんな雰囲気に包まれる...。
“平和って何だろう”
そう思うのです。
【平和】と
言葉にしながら、
一方では
「〇〇さんは嫌い」とか
「◇◇の国はけしからん」とか
そんな想いを
心内に持ちながら
【平和】って
構築できるのだろうか、と
いつも
思うのです。
好きとか嫌いとか
良いとか悪いとか
そんな風に
“自分自身”の中に
分ける思考がある限りは
【戦争】は無くならないんだ、と
いつも
思います。
この国にとっての善は
あの国にとっては悪で
この善悪があるならば
お互いに反発し
やがては
戦争へと至っていくのです。
それは
何か特別な話では無くて
個々人の中に在る
あの人は好き
あの人は嫌い
そんな
身近な想いを
改善することから
始まるように思うのです。
私には
今ではもう
【好き】も【嫌い】も
無くなりました。
あの日...
先月7月
暑さに満ちた
広島で
私が観たのは
平和記念資料館で
起こった出来事から
目を逸らすこと無く
真正面から
向き合おうとする
多数の海外の方々でした。
あの時の私の中に
日本人とか
アメリカ人とか
ドイツ人とか
中国人とか
そんなものはなくて、
共に
【平和を構築していく大切な仲間】
として
私の目には
映ったのです。
ナチスドイツが
やろうとしたのは...
少し
表現を換えるならば
まさに
【好きな人だけに囲まれて過ごせる社会】を
創ろうとしたのではないですか??
そもそも
好き、
嫌い
って
何ですか?
私は
思います。
好きも嫌いも
自分自身を
真正面から
追究していくならば
やがては
“嫌い”と思っていたのは
自分自身の未熟さによる
思考の在り方が生み出した
ニセモノに過ぎない概念であること。
すると
そこには
もう
“好き”さえも消えていき
全ては
愛しく
大切な存在だ、と
心の底から
感じられるようになったとき
真実の平和が
構築されている、と
確信します。
今日も
こんな風に
美しい花々が咲く
本当の平和であるよう
自分自身を見つめ
一歩一歩
進み行こうと
思っています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
Moe