よく


耳にしてきた言葉。


よく


目にしてきた言葉。





“優しいから傷つく”






“優しい人は傷つきやすい”









本当ですか??







よく


聞きました。


「心が傷つきました。」と。









“傷ついた”

そう感じた時、

しっかりと

その内側を

観てみようとするなら

観えてくるものは

ないでしょうか。




“私、傷ついたの。”





そこには、

傷つけた人に対する

責める気持ちは

ないでしょうか。



そこには

傷つけた人に対する

怒りはないでしょうか。



そして

自分自身の中に

“悲しみ”というものは

ないでしょうか。





責める気持ちがある人を

“優しい人”だと言えるのでしょうか。



怒りがある人を

“優しい人”だと言えるのでしょうか。



“悲しみ”がある人を

“優しい人”だと言えるのでしょうか。




真実の優しい人は

絶対に

“私は傷ついた”とは

言わない...

私は

そう答えを出しました。





それは、

私自身が

“傷ついた”

という言葉を使っていた時、

私は

私自身を

“優しい人”だと

思ったことが

1度もないからです。

また

“傷ついたの”という時、

誰かに

優しい言葉を書けて貰いたい、

誰かに

構って貰いたい、

そんな依存心や甘えがあります。








私自身が

本当に苦しかった時

その苦しみの余りに

夫に放った

暴言の数々に対して

夫は

一言も

“俺は傷ついた”と

言ったことはありませんでした。

ただ

「ごめんね。

 どうしたら

 MOEが

 少しでも楽になれるかな。

 少しでも楽になれるなら

 俺ができることは

 何でもやるから。」

そう言っていました。






さらに

私自身が出逢った

素晴らしい師も

時代を超えて

出逢えた偉人方も

“自分自身を徹底して

追究し続けた方々”は

誰一人として

“私は傷ついた”なんて

表現されていません。


どんなに人に

何かをされても
(時には命までをも奪われそうになっても)

状況が

いかようであろうとも

心は何一つ動じない...

そう表現されています。




私に

このことについて

気付かせてくれたのは

ある一人の

中国の方との出逢いでした。

私は

その方と出会うからこそ

“優しい人は傷つきやすいのか”

という問いの

答えを導き出せたのです。


“傷ついた”という言葉を放つ前に

私ならば

自分自身の

どのような想い方のクセが

そういう考え方へと

繫がって行っているのか、を

徹底して見つめていきます。

そして、

相手に対して

感謝できるまで

納得のいく答えを出していく

努力を続けます。



だから、

私は

傷つきません。





それが

1日1日

“自分自身を知ること”を

積み重ねてきた今です。




そして

今も

これからも

“自分を知ること”を

追究し続けることは

続いていきます。


私は

それを

“幸せ”というのだ、と

感じているのです。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE