以前は


思っていました。


自分にとって


都合が良ければ


良い日で、


自分にとって


都合が悪ければ


悪い日だ、と。






だけど



命をかけて


私が


“自分を 知ること”を


追究する過程に於いて


私は


私自身がそう思っていた


“良い”とか“悪い”とか


“正義”とか“邪悪”とか


“白”とか“黒”とか


ジャッジしたりする


そのものさしが


多ければ多いほど


私自身を


苦しめ悲しませ悩ませていたことに


気付いていきました。





なぜ


“良い日”だと


決めつけるのでしょう。




なぜ


“悪い日”だと


決めつけるのでしょう。




なぜ


“良い人”だと


決めつけるのでしょう。




なぜ


“悪い人”だと


決めつけるのでしょう。





なぜ


そう


思うのか。


そう解釈するクセに


少しずつ


気付き始めて


そのクセを


改善し続けて


やがて


分かってきました。





良い日も


悪い日もなく


あるのは


素晴らしい日々のみだ、と。






本当に在ったのは


素晴らしい日々だけ、でした。






どんなことがあっても


全ては


自分自身が


“何かを学ぶために起こる


様々な出来事”だと


解釈できるなら


目の前で起こる出来事に対して


一喜一憂することなく


感謝しながら


静かに


受け入れようと


覚悟が決まります。



そうするとき


“心”というものは


だんだんと


揺れなくなっていくように


感じるのです。


“心”が揺れるとは、


悲しみや


苦しみや


悩みや


不安や怖れや心配などに


自分自身が


飲み込まれるということです。


“心”に


主導権を握られると


“良い日”であれば


ワクワク愉しいな、と


浮き足立ち、


“悪い日”であれば


悲しみ


悩み


どれだけでも


落ち込んでいきます。




それは


なんて


疲れることでしょう。







エネルギーが


無駄に流れていたころ


私は


よく


精神的なもので


倒れていました。



良い、悪い


という考え方に縛られ


がんじがらめに


なっていたからだ、と


今なら


はっきり


分かります。








私に在るのは


素晴らしい日々。




今日は


子ども達と共に


渓谷に行き


自然の中に


全てを委ねる...


そんな素晴らしい時が


これから


創造されていきます。





素晴らしい


日々。






熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE