SNSが


発達し、


情報が溢れる中


様々な人の表現に


思うところが在る人は


たくさんいると思います。






例えば、

写真について

考えてみると、

撮った写真は

本来見えている景色の

ほんの一部を切り取ったものにしか

過ぎません。




どんなに美しい海を

絵に表そうとしても

やっぱり

描くことができるのは

美しい海の

わずかほんの一部しか

描けないのです。



文章も

やはり

そうなんです。



どれだけ

想いが在り

文字に託したいと

想っていても

文字表現には

どうしても

限界があるのです。



特に

文字は

写真や絵などとは異なり

“文字を発する人の想いと

文字を受け取る人の意識の差”によって

全く違う意味合いとして

解釈されることも

少なくありません。

もちろん

写真や絵も

少なからず

そうかもしれませんが...。



どちらにしても

写真や絵、文章などは

表現しようとした人の想いの

ほんの一部の表れにしか過ぎない...。






だから

誰かの言葉や行いについて

“何か”感じるものがあったとしても

その表現は

その人のほんの一部の表れにしか過ぎない

ということを

いつもいつも

胸に留め置きたいと

私は

思うのです。



例え

どんな表現だったとしても

本来は

美しさ、優しさ、慈悲や光に満ちた

素晴らしい存在だと

胸に留め置きたいと

私は

思うのです。





余りにも

美しくない表現を

目の当たりにするとき、

私は

いつも思います。




「今

 私の前に

 “何を学びなさい”として

 このような状況が

 現れているのだろうか」と。



必ず

“何か”を学ぶために

目の前に

現象が起こっているのです。



だから

感情や思考に 

飲み込まれること無く、

静かに静かに

自分の内側を

俯瞰するのです...。




そこには

必ず大切な“学びがある”から...。





そのようにして

1日1日を

大切に過ごすとき

この世界の

美しさや素晴らしさを

しみじみと感じ

与えられた

この時に

感謝するのです。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE