時々


夫の偉大さを


想うときがあります。


それは、 


“今が至福に満ちていて


感謝に溢れているから”です。






3年前


まさか


今の自分自身の姿を


想像なんて


できもしませんでした。





生きる苦しみしか


感じられず、


「いつ死のうか。


 いつ死ねるのか。」


そればかりを


考えていたあの頃。




起き上がることもできず、


食事も摂らず、


トイレにさえ


這っていくような状態で、


家事なんてできもしませんでした。


子育てなんて放棄していました。


夫は


その全てを担い


さらには


当時は


警備会社に


派遣という雇用形態で


働いていました。




そんな夫に対して、


私は


自分自身の苦しみの余り


数え切れない程の暴言を


吐き続けていました。




「あんたなんかと


 結婚しなけりゃ良かった。」




「不甲斐ない。」




「頼りない。」




「経済力もない。」




「ない、ない、だらけで


 恥ずかしくないの??」




しかし


夫は


私の暴言に対して


一言も反論することも無く、


「本当にその通りだ。


 ごめんね。


 苦しませて、


 本当にごめん。」と


私に


頭を下げていました。










今思い返しても、


いかに


自分自身が


無知で


愚かで


どうしようもない


意識の在り方だったか、と


恐ろしさを感じるほどです。





いつ


自殺するのか


そんなことばかり考えていた私を


夫は


気が休まるとき無く


始終


私を見ていた、と


言います。




それでも


警備会社へ行くときには


当時


まだ


中2だった長男に


私のことを


必ず見続けるように、と


託していたのです。




14歳の長男と


4つ下の次男は


2人で


いつも私の傍にいました。





あの時の状態ならば、


私は


精神科の閉鎖病棟に


拘束衣を付けられて


入っていても


おかしくはなかったでしょう。



しかし


私は


薬も病院も


頑として拒みました。



そんなところへ行っても


私のこの内側から


溢れ出てくる苦しみは


絶対に絶対に


治せない、と


確信していました。





夫が


願ったことは


ただ1つ。


「MOEの苦しみを


 どうか取って下さい。」


それだけでした...。





そんな夫の姿を見て


子ども達は


育っていったのです。






子ども達に


「人に優しくしなさい」


「いじめはしてはいけません」


「正しく生きましょう」なんて


言わなくても、


“人としてどう在るのか”


“人としてどう生きるのか”を


身を以て知っていて


実際に


子ども達は


そう生きています。




なぜならば、


我が家で


1番苦しかった時期に


夫の姿を


目の当たりにしていたからです。




辛くても


苦しくても


どんなに大変でも


逃げることをせず、


真正面から


妻と向き合い


少しでも


状況が改善するように


できることは


誠心誠意


やり続ける姿を


観ていたからです。



弱い人ならば、


浮気や不倫や


酒や


賭け事に


逃げていたでしょう。





でも


夫は


強かったのです。




そう...


強かったのです。




だから、


私の傍に


ずっと


居てくれたのです。







そんな家族に見守られたからこそ、


私は


【自分自身を知ること】を


追究し続けられたのです。




そして、


今があります。





あの時の苦しみは


到底


文字には


表せませんが、



ただ


あの時の苦しみは


私自身が


間違った思いのクセや


観念概念などが


私自身を


グルグルと縛り付け、


だからこそ


もう息もできないほどの


苦しみの闇の中


もがきあがいていたことが


今なら


ハッキリと 


分かります。




薬やドクターや病院で


治せるものでは


無かったんです、


少なくとも


私の場合は。





地道に


想いを正し、


言葉を正し、


行いを正し、



そして


静かに静かに


明想を重ねてきました。








“逃げないで良かった”


そう思います。




自分自身と向き合うことから


逃げないで良かった、と


心から


そう思います。




そして


起こった全ては


必然として


起こったことなんだ、と



納得しています。





そして、


私は


夫の偉大さに


心から感謝し、


また


尊敬しながら


日々を過ごせることが


至福なんだ、と


しみじみと


感じているのです。










熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE