朝
挨拶もせずに
無表情で
登校していく
子どもがいます。
いわゆる
偏差値の高い と
言われる学校に
行くこと...
その意味合いって
何だろう、と
思います。
学力が高いのが
悪いというのではなく、
あまりにも
学力偏重や過度な競争システムは
子ども達にとって
人間として
本来大切なものを
奪ってしまっていっていることを
理解している人は
どれだけいるのでしょうか。
私が
海外の方と
話をするときに
人との関係性構築にあたって
一番大切なことは、
自分から進んで
笑顔で挨拶をする、ということでした。
たくさんの語彙を
身に付けるに超したことはありませんが、
挨拶と
ありがとう、と
美味しい、が
言えるならば、
たいていのことは
笑ってやっていけるように思います。
そして、
何を知っているのか、という
知識のひけらかしより
(学歴&職歴)
今までどう生きてきて
今どう生きていて
何を大切にして生きているのか、
これから何を創造するのか、
そんな話をするとき
英語という言葉の壁は
いとも簡単に越えていきます。
もちろん
語彙力を身に付けるためには
それなりに努力は必要です。
「日本人は物静かだ」と
海外の方から
言われました。
一方で
日本人が
集団になったとき
あり得ないくらいに
失礼な態度を
海外の方に対して
平気で為すことも
耳にするときに
胸が痛くなります。
“独りでだったら
やらないことは
(できないことは)
集団になっても
するなよ”
私は
いつも
そう思っています。
私は
群れるのが嫌いなので、
いつも
1人で居るようにしていますが、
1人で居るからこそ
観えてくるものが
本当に
沢山在るのです。
私が
海外の方々から
「ドイツにおいでよ」
「中国に来てよ。」
そう言われるのは、
私が
徹底して
“自分自身を追究し
自分を改善し続ける”
その過程で出逢った方々でした。
私は
いつも
“私”でした。
日本人という枠にも
ハマりきらず、
どこにいっても
枠にはまりきれなかった私は、
だからこそ
いとも簡単に
国を超えて
人と巡り会い
共に
学び合うという
素晴らしい機会に
恵まれました。
誰1人として
偏差値の高い学校が
人としての幸せだ、と
言いません。
人として
大切なことは
思いやりや
温かさや
優しさや
慈しみだとして
それを
実際に
言葉や行いで
表現する人ばかりです。
こんな人で
地球上が充たされたならば、
この地球は
本当に美しい世界へと
変貌していく、と
いつも思います。
“教育の在り方”
これは
今
私の中で
大きなテーマと
なっています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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