「素直」


この言葉は


理解度によって


全く意味合いが


異なってきます。


もちろん


言葉や文字の全てに


言い得ることですが、


特に


「素直」とか「自由」とか


「私らしく」とか


「心のままに」 などの言葉の使い方は


自分自身を律することが


できなければ、


どうなっていくのかは...


想像に難くありません。





ある人が

“素直に表現すること”を

今までやってこなかった、と言って

そして

“素直に表現する”として

出てきた言葉が

「大嫌い」や

「人を裁く言葉」だったんです。





大きな間違いだ、と

思いました。

しかし

私は

何も言いませんでした。




私ならば

仮に

「大嫌い」だと

感じたならば、

そう思う

自分自身の内側に

どんな誤った考え方や

観念概念があるのかを

静かに見つめます。

そして、

想いを正し、

言葉を正し、

行いを正していくことを

日々の生活の中で

取り組み続けていきます。



「大嫌い」な人なんて

私には

いません。




深い学びを私に与えて下さり、

大切なきっかけを与えてくれて

“ありがとうございます” です。



「素直に表現する」とは

愛の法則・慈悲の法則通りに

表現する、という意味合いに

解釈するならば、

なぜ

「大嫌い」なんて

言えるのでしょうか。




そんな言葉を放った本人は

放った言葉通りのものが

確実に

戻ってきています。



それが

法則だからです。


1番怖いのは

1度放った言葉は

2度と

取り返しが付かない、ということです。




だから

言葉の一つ、

文字の一つ、

本当に

表現して良いのか

愛の法則・慈悲の法則に

照らし合わせ、

そこで

OKだと

確認できたとき

表現するように

練習を積み重ねていくしか

身に付かないように

思います。


小学校の道徳でさえ、

テキストに

「素直に表現する」ことの言葉に

“大嫌い”なんて

載っていません。


仮に

テキストに載るとするならば

“ごめんなさい”や

“ありがとう”です。




この世界は

苦手なことや

取り組まねばならぬ事から

逃げても逃げ切れない世界です。


だとするならば、

腹をくくり

真正面から受け止め

与えられた宿題を

適切にやりきるしかありません。


私は

そうやって

乗り越えてきました。


だから、

今があります。



そして、

本気で取り組むと決めたとき

神様は

必ず

必要な人は

傍に置いてくれるという

深い配慮と慈悲の想いで

見守り続けてくれていることも

知りました。



全ては

ただ“感謝”。

それだけです。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE