26歳の時
教頭から
初任者研修の一環として
話を聞く機会があったときに
最初に訊かれたこと。
「先生は
教育について
何が一番大切だと
思いますか。」
私は
即答しました。
「命です。」と。
すると
教頭は
「命はあって当たり前のもの。
わざわざ
言うほどのものではない」
そんなニュアンスの言葉が
返ってきました。
余りにも
ショックで
その後
教頭が
何を言ったのか
全く記憶にはありません。
ところが、
翌年
佐世保市で
小6の女の子が
クラスの女の子を
殺傷する事件が
全国ニュースに流れました。
それは
学校現場にも
大きな影響を与え、
それ以後
【命の教育】という文字が
増えていきました。
ところが
“命”について
“命”を知っている大人が
私の知る限り
誰一人としていませんでした。
だから
【命の教育】なんて
私の目から見たら
「そんなやり方もあるのかな」くらいの
内容でしかありませんでした。
もちろん
私自身も
【命の教育】なんて
到底できない、と
自覚していました。
【命の教育】とは
単に
・人を苛めてはいけません
・人を殺してはいけません
そんな
文言の押しつけでは無くて、
教師自身が
命の意味合いを実感して
日常生活で
そう生きているのか...
その1点だ、と
思うのです。
命とは光。
命とは美しさ。
命とは愛。
命とは無限。
命は
様々に表現を変え得るかもしれないけど、
【命】を追究しないままに
【命の教育】といっても
それは
何の意味も為しません。
もちろん
子ども達の心には
何も
響きません。
私が
教育で
一番大切にしたいもの。
それは、
自分自身を追究し、
生まれてきた意味、
生きている目的を
見誤ること無く
日々
様様な体験を経ながら、
その答えを
自ら導き出せる力を
創造すること。
あの時の
教頭には
おそらく
伝わらないであろう
私の答えは、
沢山の苦しみや悲しみや
悩みなどを経て
ようやく
掴み得た
確かな答えでした。
この世界は
法則通りに現れる世界であること。
この世界は
素晴らしいこと
美しいことに
充ち満ちていること。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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