指摘してくれる人がいることは
有り難いことだ、と
思います。
昨年、
畑を始めたばかりの私は
何も知らない、
何も分からないだらけで、
だからこそ
たくさんの至らなさを
露呈していました。
特に
種に対する扱い方はずさんで
次男坊からは
「お母さん、
あのね
種ってね
昔の人は
自然災害があるときには
何よりも先に
種を持って避難するくらいに
大切にしていたんだよ。
炎天下に
種を放置するなんて
ダメだよ。」
それから
畑をやり続けて
一年以上が過ぎ
種を採取するなかで
種が
いかに貴重で尊いものであるのか、を
実感したときに
次男坊の言っていたことは
本当だった、と
気付きました。
種は
命です。
種は
師です。
種は
無限の可能性を秘めた
素晴らしいエネルギーです。
事実、
翌年に使う種は
食す種以上に
立派なものを
選定しています。
大豆やソラマメなど
種そのものを食べるときには
より
顕著に現れました。
食す種よりも
来年植える種の方が
遥かに
クオリティが高いのです。
しかも
選ばれる種は
そんなには
多くはありません。
そこまでして
選定した種でも
野菜の種類によっては
発芽率が
50%以下のものもあります。
指摘してくれる人がいることは
有り難いことだ、と
思います。
もし、
指摘してくれる人がいなければ、
同じ過ちを
何度も何度も何度も
繰り返していたでしょう。
そして、
これは
種だけに
限ったことではなくて、
生きていく中で
出逢う様々な人からの指摘についても
言えます。
もし、
指摘してくれる人がいなければ...
その究極は
独裁者...。
指摘してくれる人がいることは
有り難いことだ、と
私は
そう思います。
言いにくかったでしょうに、
また
言葉にするまでには
散々試行錯誤もしたでしょうに、
それでも
“伝える”ことを
勇気を以て
行動して下さったことに
私ならば
「ありがとうございます。」と
頭を下げます。
次男坊にも
月日が過ぎてから
伝えました。
「あなたが
言っていたことは
本当だった。」と。
「種について
知れば知るほど
大事にしなきゃいけないことが
よく分かるようになったよ。」と。
「教えてくれて
ありがとう」と。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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