確か


この曲は


私が27歳くらいの時に


出逢った曲でした。


【優しい歌が歌えない】


    (槇原敬之)



あれから


約20年ほどの月日が流れ、


この曲の歌詞に


言葉を失います。



自分自身と


真正面から


向き合ったことのある人なら


実感として


納得すると思います。


 





抱えた苦しみは


誰のせい、と


人を酷く責める的外れを


何度も何度も


繰り返して


苦しみは前より


増えるばかり。




同じページをめくりすぎた


本のように日々はすりきれて


自分の中を見る以外に


もうすべは無くなってしまってた。




そこで


僕は確かに見たんだ。


全てを人のせいにして


誰でも平気で傷つけるような


もう1人の自分が


こころの中で


暴れながら


僕をボロボロにするのを。




初めて覗いた


こころの中は


見たことのない暗闇で


僕はとても怖くなって


何度も


足がすくんだ。




夏に間に合うように木の葉は


日陰を作ろうと大きくなり、


木の葉曇る小さな陰を


愚か者にも分けてくれる。


責めるつもりなど無いというように


葉音の歌を歌ってくれる。


人に生まれたはずの僕は


優しい歌の1つも歌えない。


たとえ


何かできなくたっていい、


せめてこれから生きるときに


同じようなことを繰り返して


誰かをまた傷つけぬよう


こころの中を


どんなときも


見つめられる強い自分になりたい。


初めて覗いたこころの中が


あんな闇に包まれていたのは


自分をかばう僕の手が


光を遮っていたからだ。


この気持ちさえ今は


自分勝手な思いだと分かるけど、


本当にすまないことをした、と


今すぐ謝りに行きたい。


木の葉曇る背中押すように


突然強い風が吹いて


立ち上がると


僕の往く


5月の道が光ってた。


優しい歌が僕にも


歌えそうだ。









自分自身と向き合うことから


絶対に絶対に


逃げてはいけない強さを育むことの大切さ。





私は


改めて


納得しています。




熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE