「自由に生きたい」


「自由になりたい」


「自由に表現したい」



自由に


自由に


自由に...




その“自由”って


何だろう...


教員だった頃に


いつもいつも


自分自身に問うていた言葉の1つ。





小学校教員だった時、


何年生かは


もう覚えてはいませんが、


児童同士の何か


トラブルがあったとき


その解決に入った私に


ある児童がハッキリ言いました。





「自由にしてもいいじゃないか。」と。







「はい!?」




その時の私は


あまりに若く未熟で


「自由にしてもいいじゃないか。」


この一言に


とても腹が立ちました。





「自由にしてもいいじゃないか」





クラス仲間とトラブルを起こし、


悲しませ


困らせて


ここに来てまで


その言葉を吐くのか!!???






そもそも


“自由”を知らぬ者が


「自由」なんて言うな!!!




あの時の私は


小学生に対して


そう想っていました。




そう想っていましたが、


決して


口にはしませんでした。





“自由”って何だろう。





文字を読むならば


「自らに由(よ)る」です。



漢和辞典で


【由】を調べました。


①よる。


 もとづく。


 へ(経)る。


 したがう(従)。


 たよる。


②よりて。


 よって。


③よし。


 わけ。原因。


 手立て。方法。





なるほど


【自由に】とは


自らに従って、


自らにもとづいて...




そして


【自ら】とは


自分自身のこと。




では


自分自身を知ろうともしないで


【自由に】と言ったとして


【自由に】表現したとして


何が現れるのでしょうか。




だから、


自分自身の放った文字によって


自分自身の放った言葉によって


放った通りのものが


自分自身へと返ってくるのです...。




美しい文字や


勇気づける文字、


幸せになる文字を


自分自身と一体化するほどに


ズレなく表現できるならば、


自分自身の中に


違和感はありません。


文字に着飾るものが無いから、です。






だけど


自分自身を知ることから逃げて


自分自身を着飾った文字を表現するならば


きっと


その行為は


違和感を伴い苦しいのではないでしょうか。





【自由】とは


自分自身と


徹底して向き合い


少しずつ


少しずつ


“自分”というものを


積み重ねていき、


自分自身をよりしろとして


生きていくこと、だと


私は


そう解釈しています。




そのような【自由】は


とても


素晴らしくて


美しくて


幸せに充ち満ちたものだ、と


私は


そう観じています。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE