子どもが


3人いると


時には


些細なことで


トラブルが


起こることもあります。


例えば


1つだけ


お菓子があるとき


譲り合うことができないと


ケンカになります。





親から見たら


些細なこと、


取るに足らないこと、


つまらぬこと、


なのです。




その時に


思います。







 何もない方がいい、と。







争いが起こるなら


何もない方がいい、と。





全く同じ事が

大人でさえ

起こっています。


お菓子が

単に

土地や

お金や

何かの資源や

時には

異性などに

入れ替わったに過ぎません。





取るに足らないことで

争うくらいならば

何もない方がいい...。




人間を創った神様は

それでも

奪うことを為さらずに

与えて

与えて

与え続けて下さっている...




あまりにも

目に見えるものに対する

執着があり過ぎるから、

目には見えない

“大切なもの”が

見えない証では

ないでしょうか...。





与えて

与えて

与えて

与え続けるときに

観えてくるものが

あります。





奪い続ける行いは

生きるエネルギーが

間違いなく

枯渇していきます。



人は

【自分自身を知ること】を

追究していくなかで、

いかに

取るに足らないことに

自分自身が

苦しんでいたのかに

気付くとき、

執着から解放され

その時に

“本当の幸せ”が

姿を現すように思います。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE