昨年秋に


玉葱の苗を


植えました。


寒さを乗り越え


玉葱を収穫したら...


玉葱を植えたはずが


収穫する玉葱のサイズは


ラッキョウくらいのものも


幾つかありました。




おかしいです。





違和感しか


ありませんでした。




確かに


化学肥料を


使わない野菜が小さいのは


知識では理解はしていました。





しかし


玉葱を植えて


しかるべきサイズの玉葱ではないのは


やはりおかしいです。




何を教えてくれているんだろう、


ずっと


私は問い続けていました。








すると

こんな想いが

出てきました。



新しく生まれる子が

親よりも小さいなんて

おかしい、と。




子は

親よりも

大きく育つもの。


あるいは

同等に育つもの。


この表現は

正しく理解しないと

とても

危険です。


偏見や差別的な解釈へと

発展しかねないからです。



私が

表現したいのは...




子どもは

親よりも

遥かに広く大きな視野を持ち、

次の新しい時代を想像するために

今在ること。



だから、

親の思い通りに

「医学部に行きなさい」とか

「弁護士になりなさい」とか

子どもの想いを度外視して

圧力をかけ続けたら...

子どもの意識は

萎縮してしまい

本来

拓くはずであった

様々な可能性も優しさも

小さくなってしまいます。




おかしいです。



医学部に行きたいと

子ども本人が望み

病気の人に

健康を創造する希望を与えて

医者になるのは

親からの

強制では無いため

先に書いた意味合いとは

全く異なります。


子ども達が

親の思いを

遥かに超えていくならば

それこそが

本来の生き方、在り方では

ないでしょうか。


「親が安心するから。」と

公務員になった人を

たくさん見てきました。

私自身

教師として

公務員でしたが、

公務員=幸せ

ではありません。


また

公務員=安定

でもありません。







どんな時代でも

忍耐と

勇気と

努力と

意思を以て

生きていけることこそ

美しい、素晴らしい姿だと

私は

玉葱から学びました。



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE