朝起きたら
肩に激痛があることに
気付きました。
先週のぎっくり腰に
引き続き
この肩の痛みに
私は
まだまだ学ぶことがあるんだ、と
頭を下げました。
そして
ある言葉を
思い出しました。
【人間の永遠の探究】という本は
ヨガナンダの講話を
書籍化したものですが、
そこには
“子どもは遊びに忙しい。
若者は恋に忙しい。
大人は心配事に忙しい。
神を求めて忙しい人の
何と少ないことか。”
この“神”を
自分を知ること、
生まれてきた意味、
生きている目的、
愛、光、命...としたとして....。
確かに
もしも
私自身が
弟が生まれた
2才半から
「なぜ私は生まれてきたのか。」
「私が居る意味は何か。」
「私とは何か。」を
考えもせず
生きていたならば
ぎっくり腰や肩の痛み...
身体の不調に
心配や不安で
頭も心もいっぱいいっぱいに
なっていたでしょう。
早い時期に
教師を辞め、
まだ
肉体的に
健康な内に
徹底して
【自分を知ること】だけを
追究してきたことは、
まだまだ道半ばとはいえ
それでも
“幸せなこと”だったと
思います。
例え
肩に激痛があろうとも
その痛みは
今の私に必要だから
起こっているのです。
信じる力が弱ければ
身体の不調や
精神的な負担があれば、
簡単に
不平不満・泣き言を吐きます。
しかし
この世界が
完全な世界であり、
愛の法則・慈悲の法則が
働いていて
自分自身の想いを
愛だけに、慈悲だけに
留め置こうと実践するならば
絶対に
不平不満・泣き言や愚痴は
出てくるはずはありません。
それが
愛の法則・慈悲の法則を
頭で情報をインプットしているものと
実際に実践しているものとの
大きな違いだと
私は
解釈しています。
では
その実践は
いつ行うのでしょうか。
明日、
明後日、
1年後、
それとも
来世?
私は
来世までも
もがきあがき苦しむことだけは
絶対にしない、と
誓ったのです。
だから
死に物狂いで
想いを正し、
言葉を正し、
行いを正し、
明想を行い続けていきました。
私と共に
学び歩む方が
素晴らしいメッセージを
下さいました。
やるか、やらないか、
そしていつやるか。
今、
今やる、
この瞬間の大事さを
改めて気づけました🤗
やらない言い訳をするより、
やってみて
子どもの笑顔を
見れたのが最高でした。
知恵も使わないと
湧いてこないですね🙏
本気でやり続ける、と
決めて歩むとき、
こんな風に
想いを同じにする
仲間が
自然と集まり行ける ことは
とても幸せなことだと
思います。
今の大切さ。
私は
肩の痛みのお陰で
気付きを得た
最初のメッセージと
なりました。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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