体験とは


深い気付きや学びに


繫がっていくことを...


様々な体験を経ていく中で


ますます


強く感じます。




以前

私が

人生ドン底だと感じ

生きることが辛いと

思っていた時...



あの時

私と共に

泣く人がいました。


というより

私のために

泣いてくれた、という方が

正しいのかもしれません。


私と共に

泣いてくれている姿を見て

私は

“私は愛されているんだ”と

勘違いしました。




一緒に泣いてくれている時は

それで

気持ちが満たされていました。



しかし

翌日からは

また元の通り

苦しい重たい気持ちに

逆戻りし、

前へ進めない自分に

苛立ちを感じていたことを

何度も何度も

体験してきて....







 “泣く人と共に泣くのでは無く

 揺らぐことの無い

 自分自身の内側からの

 強い愛、光、智慧によって

 相手に対して

 進むべき道を照らすこと”の方が

遥かに力強い支えになることを

私は

知っていきました。



しかし

【泣く人と共に泣くのでは無く】

というのは

相当な不動心が必要であり、

そのように

自己を鍛錬する

強い意志が必要であることも

また

知ったのです。





自分も泣いていては、

人生ドン底だと感じる人は

救えないのです。



また

人生ドン底だと感じる人間は

自分自身が

幸せでは無いため

自分と同じような

心理的な状況に

相手を巻き込もうと

あの手この手で

巧みに

様々な言葉や行いで

アプローチしてきます。



「私、こんなに苦しいのよ。

 だから

 ほったらかしにしないで。

 あなたって

 なんて冷たい人なの!!!」




賢い人は

このアプローチには

乗りません。




私の子ども達も

夫も

そうでした。


寝たきりだった私の部屋の隣からは

4人の笑い声が

数え切れないくらいに

聞こえていたのです。



「私が

 こんなに苦しいのに

 なぜ

 あなたたちは

 笑っているのよ!!!」



あの時

そう思っていました。




苦しい人

悩む人

辛い人を

ほったらかしにしなさい、では

ないのです。





しかし

情に流されては

共に

沈んでしまいます。


共に

苦しむことになります。





大切なことは

相手の苦しみは

“苦しみ”ではなく

大切な学びを


まさに

修めようとしている

機会であり、

その機会を

奪ってはならず、

何が自分にできるのか、は

静かに落ち着いて

判断しなければならない、と

言うことではないでしょうか。






情では

誰も救えません。


また

情ほど

混乱させ

迷わせるものも

ありません。



だからこそ

【自分を知ること】が

何よりも

大切になってくる、と

私は


そう思っています。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE